''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

内蔵助の母方親族 中村 一忠(後の忠一) (池田 せん 息子)

総索引https://kantoshoue.hatenablog.com/entry/35343705

赤穂藩 筆頭家老 大石内蔵助良雄 血縁関係 の「け」 

 

内蔵助の母 池田由成の六女 熊 

内蔵助の母方親族 池田 元助 高祖父

 

父 中村 一氏(なかむら かずうじ) 豊臣政権三中老の一人。

母   安御院(あんぎょいん) 池田 せん 池田恒興の娘)

森長可室、後に中村一氏室)

 森長可 戦死。長可 との間に、子はなし。

 

天正18年(1590年)、駿河駿府城主・中村一氏の子として誕生した。

豊臣秀吉の死後、徳川家康と会談し、東軍方に加わることを決めたが、重い病にかかっていた一氏は、関ヶ原の戦いの直前の慶長5年7月17日1600年8月25日)に死去した。

 

関ヶ原の戦いの後の同年11月、先の会談を踏まえた家康は、11歳の一忠に伯耆一国を与え、米子17万5000石に移封した。さらに一忠は伯耆守に任じられ国持大名とされた。

慶長14年(1609年)5月11日、20歳で急死。

 

中村家は表向き断絶したことになったが、一忠の側室(梅里と伝える)が男子(一清)を産み、後に因幡鳥取藩池田光仲に仕え、鳥取藩での 家老・池田知利(下池田)の客分となる。禄高100から150石。一清の子孫は藩主の陪臣として明治維新を迎える。

 

一氏━一忠━一清━清義━義元━義貞━義春━┳義枝━┳長彌━豊德
                     ┣平八 ┗枝幸
                     ┗妙馬