大阪府では、吉村知事によって、大阪モデルの提唱が話題になっています。
一応の出口の目安と言う意味では、専門家の意見を聞いた上での、政治判断です。
非常事態宣言を受けて、人の流れが止まっている以上、経済への影響も拡大しています。
どちらかを選べて、選択を求めても、容易に判断できるものではありません。
様子を見ながらと言う事になりますが、一応の出口の基準は示さないと、多くの国民の不安を払拭できません。
その意味では、大阪モデルは、評価の意義はあります。
国が言わない以上、知事として口火を切ったと言う事になりますね。
我が家は、コロナ戦と銘打って、籠城しています。
とは言え、全く家から一歩も出ずに過ごすことは出来ません。
夕刻人出が少ない時間を狙って、4歳児ゆうゆうと、近くの公園に散歩に出かけます。
家から1分の公園ですが、遊歩道になっています。
細長い公園が、分断もありながら、数キロに亘って繋がっています。
もちろん、端から端まで行ったことはありません。
家の近くにも、少し離れたところでも、同じような遊歩道が、いくつもあります。
川の流れに沿って、鯉が泳いでいたり、水鳥が羽を休めていたりします。
我が家の近くの遊歩道は、遊具を配置したり、藤棚を配置したりと、水の流れを楽しむことはできません。
それでも、子供と歩くには不便はありません。
近くの公園の散策の途中で見かけた花壇です。
近くの方が、お世話して下さます。
公園内も竹箒で掃き清められています。
子供との大切な時間です。
子供が居なかったら、単なる不審者みたいですね。
そう言えば、白隠慧鶴という禅僧が、不審者に間違われて、どこかの婆さんに竹箒で頭を叩かれて小悟りを開いた聞きます。
後に、42歳にして、白隠は夜中に法華経を読んでいる最中、蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声を聞いて大悟を得たと聞きます。
達磨さんのユニークな絵を書くことでも有名です。
諡(おくりな)は、神機独妙禅師、正宗国師です。
「隻手(せきしゅ)の音声(おんじょう)」の公案者としての有名です。
この公案で最初に悟ったのは、お察婆さんという隣近所の女性だと聞きます。
白隠の隻手(かたて)の声を聞くよりは 両手を打って商ひをせよ
私もそうかもしれません。
到底悟りは知りえない凡夫として、考えるより、働けと言われているような気になります。
でも、悟りとは、日々の暮らしの中でも生かせるようなものかもしれません。
そう思うとありがたいです。
日々の歩いたこの道の先に、長安に繋がっていると思えるだけで、心の支えになります。
いつまで続くか分からない「コロナ禍」の中、日々の暮らしを取り戻すべきように暮らして行かないと言きけません。
人は一定の距離をとっても、心の距離は近くにあると思いたいです。
日々の暮らしの中にこそ、どんな時でも「よかった」はあるはずです。
花を見て月を見て、心のバッテリーを満たしてみたいものです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。