''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

痛風発作のピークは、すでに越えています より。

タイトルは、コロナに第9波の話ではありません。

季節の変わり目に、体調の変化が起こるモノです。
先週あたりから、痛風の発作に苛まれています。


発作と言えば、多少の予兆は、付き物です。
お知らせモードと言えば、聞こえは良いですが、これが大事です。


痛風とは、風か吹いても痛いと言う男性に多い病です。
年々、痛みも増しています。
腫れが尋常ではないんです。

 

若い頃は、寝ている最中に発作が起きて、その発作の痛みをモノに喩えると、真っ赤になっている過熱された火鉢をいきなり足に押し付けられたような痛みと言えば、雰囲気が分かって貰いやすいです。
あくまでも、私の場合です。
人によって、感じ方が違います。

 

50歳坂を越えてから、私の場合、腫れが酷くなりました。(お見苦しいモノで恐縮です)
トイレ前の廊下で、トイレ前のドアを背景にして、ハイチーズと写真を撮りました。
日常生活に支障が出ています。
深夜のトイレが一番困ります。

 

今は、ピークの峠は越えました。
後は、腫れが徐々にひきます。
ここまでが大変でしたね。
足を上げると、楽になる人が多いと聞きます。


でも、痛風患者は、幸せ者です。
中には、発作の起こらない方が居られます。
無謀な事をしないように、体が発作で警告してくれます。
ありがたいことです。
そう思うようにしています。


二代目京山幸枝若浪曲「米屋剣法」で、話の場所は、京都です。
時代は、戦国時代でしょうね。
吉岡又三郎と米屋の精三郎の師弟の話です。
1尺8寸の竹の太刀を使った「吉岡小太刀」、別名「竹べら剣法」と言う小太刀の名手です。


浪曲 京山幸枝若「米屋剣法」より。 今日は大作ですよ。

 

神田伯山の講談にも、同様の講談があります。
道場を京の今出川に構えたが、稽古が厳しいので、門弟が居ません。
そこに、道楽の持ちない米屋の主人の精さんが、剣術を習いたいと言う事になります。


そこで、門弟が居ない道場に弟子入りです。
ただ、厳しすぎる修業が条件ですね。
弟子が木刀で殴られたら、「痛い」というのでなく、「ありがたい」と言うシステムです。(意味不明です)


師匠に手向かえは出来ません。
ひたすら、木刀で殴られて「ありがたい」と言うだけの修行です。


武士でも耐えられないので、米屋には無理だと言います。
ですから、弟子は採らないと断ります。
精さんは、何が何としてもやると決意して、修業(なぐられるだけ)を続けます。


もちろん、木刀に殴られないようにするため、修業して上達するために、殴られたら「ありがたい」と言うのです。
そして、毎日木刀で殴られて殴られた、上達していきます。


ただ、師匠の二人での稽古なので、強くなったかと本人は分かりません。
それでも、師匠に言わせると、精さんの腕前は、上目録の「目」だと言われるので、大分と修業したようですね。


あれこれ、1年2ヶ月と16日、毎日毎日痛い目をした分、ありがたいと言えたと言う事です。
浪曲と講談の話は、この米屋に近くの剣術道場の卜部が難癖を付けて、ボコボコにします。
もちろん、吉岡道場では、他流試合はご法度です。(本人は手出ししていません)


稽古に出て来ない米屋の精三郎を心配して、師匠が家にやって来ます。
嫁には、うつる流行り病と言って、制しますが、弟子の見舞いをしない師はいないと、寝間にやって来ます。(ここは、ウルっと涙を誘います)


事情を聞いて、ここで時間となるのが、浪曲です。
敵を討つのが、講談の違いです。
もちろん、浪曲でも次の語りでは、敵討ちをすると思います。(たぶん、知らんけど)


腕のいい話芸を聞けば、その世界に没入できます。
その間、私は痛みから逃れられます。
痛くでも、ありがたいです。
今日は、こんなオチです。(チャンリンチャンリン デンデン)


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。              
ありがたいことです。            
            
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。              
ありがたいことです。              
              
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。              
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。              
ありがたいと感謝です。              
              
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