''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

茶室に見る花、見ない花。

『南方録』という書物を、私のブログでも何度となく取り上げています。
千利休の教えを記した書物ということになっています。お弟子の南坊宗啓(なんぼうそうけい)と言う人物が書いています。自分用に書き記し手記のようなものです。この書物以外には茶人として名の記されていない人物です。

不明な点が幾つもあります。江戸時代に突然現れます。
黒田家の重臣、立花実山という人物によって世にでます。
利休死後100年を過ぎたころの話です。真偽の程は何度も議論されています。
最新の研究でどうなっているのか、知るところではありません。

でも、これがなかなか面白いんですよね。
何が面白いかと言うと、いろいな原点が見えるような気がします。
今の茶道とは違う茶人のわび・さびが見えます。

お茶と仏事は関係があるんです。
それが判っただけでも面白いです。
お茶、仏教そのなかでも、特に禅、花、茶室の空間とすべてが関係しています。

そのなかに、小座敷の茶というのが出て来ます。
利休の原点があるように思えます。
それだけに難しいですね。

小座敷は、四畳半未満の茶室です。
二畳や三畳の狭い茶室です。
何も持ち込まない・持ち込めない空間です。
身分も世俗のこともすべて持ち込まず、ひとりの人間としての空間です。

これだけ狭い茶室は、主人と客の息遣いもわかる凛とした空間です。
造作によっては目の前に、ひざが付きそうな場合もあるはずです。
その空間で茶をたて、こころの交わりをする。言葉は要りません。
「一切の無駄の排除」です。

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その中になって「花」は、必要です。
自然そのものの存在であり、また象徴とも言えます。
茶室の花にも決まりごとがあります。

花生に入れてはいけない花(狂歌)

花入れに入れざる花は 沈丁花(ちんちょうげ)
みやま 樒(しきみ)に 鶏頭の花
女郎花(おみなえし) 柘榴(ざくろ) 河骨(こうほね) 金盞花(きんせんか)
せんれい花をも嫌ふなりけり        【覚書七】

固定ではないようです。時代によっても違うようですね。
香りが強かったり色合いが強いとダメなようですね。

より自然に主客の交わりを求めるものには不適当でしょうね。
何となく素人にもわかります。

すべてが強い綺麗なものがいいものではありません。
花は精一杯に咲いているだけです。
きれいかそうでないかは、人が決めるだけです。

人も同じかもしれません。
金銭や名誉だけが、素晴らしい評価の対象ではありません。
どちらも持ち合わせてない者が言っても重きを感じませんね。

でも、時間は平等です。
同じ24時間をどう過ごすかは金銭の多寡ではありません。
地位の高さとも関係ありません。
社会的地位とは、雑事の多さに比例します。

自分を持てる時間、自分を見返す時間が必要なのかも知れません。
今ブログを通して私にはその時間を持つ機会を得ました。

ありがたいと思える時間こそ至福の時間です。
いっぱいなくてもいいです。
そんな時間が持てるか持てないかは、個人の心の持ちようです。
そんな時間を求めて、プログ書かれている方も多いと思います。

そんな方々と一緒に貴重な時間を楽しみたいと考えています。
ありがとさんです。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。


『南方録の行方』 戸田勝久著 淡交社 を参照しました。