''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

最近Excel「2007」に悩まされています。

最近Excel「2007」に悩まされています。
オフィスでも仕事場でも、エクセルというのは私のパートナーです。
私が使うは「2000」「2003」というバージョンです。

なかなかいい奴です。
頼もしいパートナーです。

難しい請求書も一緒になって作成してくれます。
ありがたいです。
書類作成も雛形を作っています。

その雛形に記入する事項も、一々文字入力していません。
数字をあてて代用しています。

たとえば、お客さんの名前もリストから選んだり、番号として打ち込んだりしています。
基本動作をテンキー、マウスで書類作成させています。(Ctrl+も利用しています。)
これならすばやく作成です。

ところが、最近エクセルの「2007」兄さんの登場です。
名前の通り、2007年生まれの新しい兄さんです。
これが癖のある兄さんです。

今年は2009年です。
だいぶ前からありますが、周りの方でこのソフト入れておられる方がほとんどいなかったのです。
ですからお目にかかる事もありませんでした。

実は、すこし評判が良くないです。
「2003」以前はそれほど変わりがなかったのに、「2007」は画面表示が一変しています。
やすきよ」の眼鏡眼鏡状態です。(怒るでしかし)

ちょっと使いづらいです。
実際に使ってみて、イレギュラー発生したら、「眼鏡?、眼鏡?」の有様です。
いつもなら勝手に手が行っていたのに、迷い箸のワルツです。

自分のオフィスや仕事場では、エクセル「2007」兄さんを使っていません。
たまたま、お客さんの所に出向くと、エクセル「2007」兄さんです。
「えー」と驚く私です。
大まかな作業は出来ても、細かい作業が出来ません。
イメージ 1

早速を↑のテキストを買って自習です。
こうした時間は無理して作らないと出来ません。
これも試練です。

私の進む道なら前に進むだけです。
この手の本は山のようにあります。
でも、私の前に道はあります。

禅の言葉、禅語に「大道長安に透る」(たいどうちょうあんにとおる)
というのがあります。(大道透長安 〈趙州録〉 )
私の好きな禅語の一つです。

ある修行の僧が、趙州和尚に問います。
僧  「仏の道とはいかなる道でしょうか?」
和尚 「道なら垣根の外にあるよ」
僧  「その道ではありません」
そのとき、禅の歴史は動きます。名言です。
和尚 「大道長安に透(とお)る」

大きい道は、長安に通じている。
すべての道はローマに通じている。
あれですね。

道は、道路としての道もさることながら、仏法の道でもあります。
長安は、地名としての長安よりも、当時の仏教世界の中心地と言う意味でもあります。
仏の道の到達する悟りの境地でもあるように思われます。

ですから、この道を終点の長安に行くには、ドラえもんの「どこでもドア」はありません。
一歩一歩進むしかないのです。

また特別な修業の中でなく、日々の生活の中に修業はあります。
今ある坂を上っても、また坂はあります。
かといって、後ろに戻っても坂はあります。
じゃ、前に進むしかありません。

その繰り返しです。
その中で長安に至るかもしれません。

エクセル「2007」兄さんから、仏法を学んでいると思えば、「眼鏡?眼鏡?」も苦になりません。
それでも使いづらいです。
日々修業です。

それでも生かされています。
ありがたいと感謝です。

前に道があるなら歩きましょう。疲れれば一休みします。
でも、気持ちを切り替えて、前に進むそれしかありません。

最後までお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。