先日正月3日、春日大社に初詣に行きました。
初詣とは名ばかりで、奈良公園に鹿に会いに行ったと言うのが、現実です。
6歳児ゆうゆうも、1年ぶりにやって来ました。
多くの鹿がいるので、ゆうゆうも大興奮です。
奈良には、近鉄で行きました。
近鉄奈良駅で、不思議な違和感を覚えました。
京都・国際会館(京都市地下鉄)への急行です。
関西圏に居る方でも、違和感があると思います。
近鉄奈良駅から、乗り換えせずに、京都・国際会館(京都市地下鉄)に行けると言うことが驚きです。
つまり、近鉄で近鉄京都駅へ行くのでなく、竹田駅から京都市地下鉄を通って、烏丸や御池等の市内の駅を通って、京都の北の宝ヶ池通り、岩倉の地に行けるんですよ。
もちろん、京都伏見に29年間も住んでいましたのだ、知ってはいましたが、現実に近鉄奈良駅で、電車を見ると違和感を覚えますね。
そんなこと言いながら、帰りは、阪急の三ノ宮駅行きの電車に乗って帰って来ました。
これも、違和感ですね。
近鉄奈良駅から、乗り換えせずに三ノ宮まで行けるとなると、山陽電車にも乗り換えることも出来ますので、姫路周辺から奈良まで電車で行けると言うことになります。
もちろん、知ってはいましたが、現実的な違和感がありますね。
と言うことは、郷里播州の父母も、乗り換え2回程度で、近鉄電車で奈良まで来れると言う事です。
現実は、そう言う路線で来ることはありませんが、JR以外で、名古屋まで私鉄でイケることになりますからね。
伊勢志摩も、私鉄電車で行けると言う事です。
やはり、播州の田舎者ですから、不思議な感覚です。
大阪に住まいして、あまりあちこちに行く機会が無かった私としては、近鉄電車にも馴染みが薄いです。
京都伏見からなら京阪電車で行くのが普通でした。
神戸に行くのは、JRでした。
あまり、近鉄電車を利用したことが少なかったと言うのも、違和感の根本だと感じています。
もちろん、禅の世界なら、京都東山に行くなら、舟で行くと言うことになりるでしょうが、私なら京阪電車で参りますよ。
修行僧に、「恁麼の道にあらず」と言われそうです。
ただただ、趙州和尚の大道長安に透る(だいどうちょうあんにとおる)、禅語の世界に通じます。
仏の道に、急行電車はありません。
日々の暮らしの繰り返しの中、毎日は精一杯暮らす。
その中にこそ、幸せの道に通じていると日々実感しております。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。