私は、元来音楽を聴きながらという「ながら族」ではありません。
「ながら族」懐かしい言葉です。中学生や高校生の時、勉強の時にラジオや音楽を聴きながら勉強をすることを「ながら族」と称しましたよね。
「ながら族」懐かしい言葉です。中学生や高校生の時、勉強の時にラジオや音楽を聴きながら勉強をすることを「ながら族」と称しましたよね。
深夜ラジオを聴きながら勉強をする。
いえ深夜ラジオを聴くために勉強らしきものをすると言う方が正しいですね。
いえ深夜ラジオを聴くために勉強らしきものをすると言う方が正しいですね。
でも今ではながら族もなかなかありません。
オフィスや仕事場でも音楽はない生活です。
自宅でも仕事をやるときや文章を書くときには集中するため、音楽は流しません。
オフィスや仕事場でも音楽はない生活です。
自宅でも仕事をやるときや文章を書くときには集中するため、音楽は流しません。
しかし、Yahooの音楽のステーションを聴きながら、ネット検索は最近よくやります。
単調な作業であったりしますので、何か最近の音楽や古いポップな音楽を懐かしく聴くことがあります。
いろんなジャンルがあります。
その中にOTTAVA(オッターバ)というクラシックの音楽サイトがあります。
クラシックというと敷居が高いです。
単調な作業であったりしますので、何か最近の音楽や古いポップな音楽を懐かしく聴くことがあります。
いろんなジャンルがあります。
その中にOTTAVA(オッターバ)というクラシックの音楽サイトがあります。
クラシックというと敷居が高いです。
FMラジオで静かな曲なら聴くこともあります。
しかし、わざわざ小難しい音楽とネットの検索作業はどうもと思っておりました。
でも、OTTAVA(オッターバ)結構、私のようなクラッシックと関係ない人間も聴きやすい番組構成です。
しかし、わざわざ小難しい音楽とネットの検索作業はどうもと思っておりました。
でも、OTTAVA(オッターバ)結構、私のようなクラッシックと関係ない人間も聴きやすい番組構成です。
もちろん、新世界と言っても、串かつや焼肉のあの新世界ではありません。
かつてはあの新世界も一大テーマパークでしたから、その意味では新世界ですね。
コテコテのクラシックでなく、まずは入門編と言えるライトなものが多いです。
かつてはあの新世界も一大テーマパークでしたから、その意味では新世界ですね。
コテコテのクラシックでなく、まずは入門編と言えるライトなものが多いです。
ボーカルがないので耳障りはないですね。
ステーションもボーカルの入った曲も聴きます。
女性ボーカルのバラード系なんか聴きやすいです。
ステーションもボーカルの入った曲も聴きます。
女性ボーカルのバラード系なんか聴きやすいです。
どちらにしても、耳に優しいのがいいですね。
ネット検索も調べることが出てくると結構熱くなります。
それを冷静にOTTAVA(オッターバ)が右に流してくれます。
♪チャッチャ チャラー チャラ チャッチャ チャラー
ネット検索も調べることが出てくると結構熱くなります。
それを冷静にOTTAVA(オッターバ)が右に流してくれます。
♪チャッチャ チャラー チャラ チャッチャ チャラー
そういってテレビから流れて行ってしまった芸人さんいましたね。
結構好きでしたのにね。
また最近テレビでお見かけします。
結構好きでしたのにね。
また最近テレビでお見かけします。
ながらと言えば、
池波正太郎著、鬼平犯科帳で「土蜘蛛の金五郎」か「谷中・いろは茶屋」であったか、
人と言うのは、善事をしながら、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきながら、知らず識らず善事をたのしむ。 これが人間だわさ、とそのような内容を長谷川平蔵は語ります。
池波正太郎著、鬼平犯科帳で「土蜘蛛の金五郎」か「谷中・いろは茶屋」であったか、
人と言うのは、善事をしながら、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきながら、知らず識らず善事をたのしむ。 これが人間だわさ、とそのような内容を長谷川平蔵は語ります。
そうだと思いますね。
いいことばかりやっている人はいない。
知らず知らずに悪さをする。
不思議なものです。
いいことばかりやっている人はいない。
知らず知らずに悪さをする。
不思議なものです。
本当に善人で仏様のような人がいたとしましょう。
常に人のことを考え、世の人を考え、社会に尽くした善人だとしても同じです。
常に人のことを考え、世の人を考え、社会に尽くした善人だとしても同じです。
検察が証人を求めます。
鯛の子供です。
「この人です。うちの父ちゃんを食べたのは・・・・。父ちゃんを返せ」
と涙ながらに訴えます。
もらい泣きしそうです。
鯛の子供です。
「この人です。うちの父ちゃんを食べたのは・・・・。父ちゃんを返せ」
と涙ながらに訴えます。
もらい泣きしそうです。
あなたは無類の鯛好きでしたね。
「はい、魚は好きでよく頂きました」
「はい、魚は好きでよく頂きました」
「何で? そうなるの?」
そうです。
食することも罪なら、それを商うことも罪。
すべてが罪です。
そうです。
食することも罪なら、それを商うことも罪。
すべてが罪です。
じゃ野菜はどう?
同じです。
すべてが罪です。
同じです。
すべてが罪です。
生きていることが罪です。
そうなってしまいます。
そうなってしまいます。
それが人間の生まれ持った「さが」です。
生きた瞬間から、知ると知らずと悪事をすることになります。
生きた瞬間から、知ると知らずと悪事をすることになります。
歩けば足の下に蟻がいます。
知らずに踏みつけます。
これも罪です。
知らずに踏みつけます。
これも罪です。
何でもかんでも罪です。
でもそうして行かないと行けてはいけません。
不思議な世界です。
でもそうして行かないと行けてはいけません。
不思議な世界です。
でも、あえてする悪も悪、知らず知らずにするも悪です。
同じ悪でも大きな違いがあるように感じます。
意味ある罪と意味なき罪があるように思えます。
同じ悪でも大きな違いがあるように感じます。
意味ある罪と意味なき罪があるように思えます。
意味は、悪いことをせずに、善いことをしましょうと意訳します。
意訳しすぎですね。
意訳しすぎですね。
そんなことは当然です。
でも、できないのが現実です。
そこが人として限界ですね。
分かっていも出来ないことは多いです。
でも、できないのが現実です。
そこが人として限界ですね。
分かっていも出来ないことは多いです。
でも、常に頭の片隅に置くことは出来ます。
少しでも実行できれば良いことだと考えます。
少しでも実行できれば良いことだと考えます。
もちろん食事をするな。物を食らうなというのではありません。
当然の罪と不必要な罪をきっちり分別することが肝要です。
それでいいと思います。
当然の罪と不必要な罪をきっちり分別することが肝要です。
それでいいと思います。
人様に迷惑をかけない、簡単そうでなかなか難しい。
自分がこれほど気をつけていても、人はお構いなしです。
腹が立ちます。
かと言って、同じことをすれば同じ人種になります。
自分がこれほど気をつけていても、人はお構いなしです。
腹が立ちます。
かと言って、同じことをすれば同じ人種になります。
「ははん、あの方はあっち組やなぁ」と思えばいいとぐらいに考えると腹が立ちません。
いろんなことに腹立ちます。
いろんなことに腹立ちます。
これが私の限界です。
偉そうなことを言ったり書いたりしても、凡夫の限界です。
偉そうなことを言ったり書いたりしても、凡夫の限界です。
腹立ちはストレスとなります。
気にしないこと、これが最良の策です。
気にしないこと、これが最良の策です。
物事は、相対的なものです。
自分にとって善くても、人様には不愉快なこともあるのも事実です。
自分にとって善くても、人様には不愉快なこともあるのも事実です。
右に受け流すこともことも必要です。
がんばり過ぎないことも必要です。
一所懸命過ぎないことが長続きします。
がんばり過ぎないことも必要です。
一所懸命過ぎないことが長続きします。
今がしあわせです。
周りにはいろんな「よかった」が落ちていますよ。
周りにはいろんな「よかった」が落ちていますよ。
まだまだ暑い最中、無駄なことに苛立ってイライラしては損です。
自分が出来ることから始める。それだけです。
自分が出来ることから始める。それだけです。
最後まで暑い中お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。