''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

夜鳴きうどん、いいですよね。

夜鳴きうどん、それともチャルメラの音でしょうかね。
深夜の帰宅に、そんな音が聞こえたら、お腹もそれに答えて「グー」です。

 

冷凍庫には、冷凍うどんのストックも、パスタも、そばもうどんも、ラーメンも用意があります。
籠城しても1週間は、持ちます。
それ程に買い込んでは入るものの、深夜のうどんはぐっと我慢です。

 

以前は、呑んだ後に小腹が減って、記憶のないうちにカップ麺の残骸が残っていたこともあります。
何となく、麺類にはこうした魔力があります。
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なかうの肉うどん(390円)です。
なかなか美味いですね。
麺も出汁も美味いです。

 

牛丼だけでなく、肉うどんもよく食べます。
関西ではうどんと言えば、麺の定番です。

 

しかし、関東では、うどんというと、夜鳴きか、風邪ひきの食べ物というイメージがあるようです。
それは、関東はそばが主であるというだけでなく、うどんを注文する時、「くすり」というと風邪の薬を出してくれたといいます。

 

もちろん、現在では「薬事法」違反ということになって、薬剤師の無資格の薬と取り扱いは出来ませんからね。

 

そのイメージはあるようです。
しかし、深夜のこうした夜鳴きのうどんは、時代劇や落語の世界に出てきます。
何とも情緒があります。

 

落語では、「夜鳴きうどん」や関西の古い話「風邪うどん」などがあります。
深夜、夜鳴きうどんを木戸から呼ぶ大棚の裏手です。
うどん屋さん」って小声で呼ばれます。

 

大棚の商家では、こうした夜食を食べることを禁止している店もあります。
用心のためでもありますし、お店の風紀のためでもあります。
それは、それ、多めに番頭さんが見てくれるお店もあります。

 

この辺は池波正太郎のエッセイなんかで、詳しいかかれていますね。
本を探して、もう一度読み返してみたくなります。

 

呼ばれたうどん屋は「おいくつ」と尋ね、「一つ」と答える手代です。
話によっては、ここで種火を仰いで七輪で鍋焼きうどんをこさえることもあります。
パタパタ火を起す様が、何とも時代とその時の気温を表現できるビジュアル的な総合話芸ですね。

 

うどん屋も、まずは一つ食べてもらって美味かったら、あと大勢の手代の注文が入ると、採らぬ狸の皮算用です。
しめしめと自分の世界に入ります。

 

出来上がって、同じように小声で「へいおまち」といい渡します。
お代を頂くとき、手代がうどん屋に言います。

 

うどん屋さん、あんたも風邪ひいたのかい」
♪チャンリン チャンリン ドン ドン

 

これがオチです。
これも風邪とうどんのイメージから来た話のイメージですね。
うどんは消化もいいので、風邪ひきで食欲のないときには助かります。

 

今月のサブタイトル「赤穂浪士」です。
吉良様のお屋敷に討ち入るために、史実には残らないですが、こうした深夜の張り込みや偵察はあったはずです。

 

そんな時、温かい夜鳴きうどん、浪士は食べたかもしれません。
貧乏でしたから、寒かったでしょうね。
今のように簡単に暖が取れるものはなかったですからね。
懐がすこし暖かいなら、温かいものを食べて、任務の遂行が出来たはずです。

 

吉良様のお屋敷に討ち入るには、どうしても屋敷の図面は必要不可欠です。
その屋敷の広さは、2550坪です。
建物の広さは、856坪あまりです。

 

大きすぎて分りませんが、1坪は、畳なら2畳です。
単純に建物だけで、856×2=1712畳です。

 

庭には、塀や柵もあります。
2550坪というだけで、とてつもない広さ、建物もそうです。

 

その中のどこに、宿敵「吉良上野介」がいるか分りません。
吉良の家来も、上杉から助太刀もいます。もちろん、金で雇われた者もいるはずです。
どうしても絵図面が必要です。

 

吉良屋敷の裏手に、米屋があります。
安売りの米屋です。
浪士、前原伊助(金奉行10石3人扶持 40才)の米屋です。
五兵衛と名乗っています。

 

ここに、吉良の屋敷の改築に関わった本所の大工の棟梁、平兵衛が関わります。
前の住人松平の屋敷を建てた大工の棟梁でもあります。
二枚の図面か保管されていました。

 

浪士の一人、岡野金右衛門(おかの・きんえもん)(亡父200石 24才)は美男子ということになっています。
米屋のアイドル・看板手代です。
米屋の手代として、九十郎と身分を演じます。

 

ここに、平兵衛の姪、お艶が好意を寄せます。
この辺は、岡野の苦悩ですね。
忠義の為とはいえ、お艶を利用するのですからね。

 

この真偽はわかりません。
大石瀬左衛門(150石 27才)の伯父が、前屋敷の松平の家臣であったというのです。
ここから、前のお屋敷の図面は手に入ったようです。
しかし、改築をされています。

 

潮田又之丞(うしだまたのじょう)(200石 35才)の力があります。
元は、馬廻役兼絵図奉行をしておりました。
そうした知識も有ったのでしょう。
吉良屋敷の出入りの商人からの情報を分析します。

 

とりあえず、現在でも、この屋敷の図面は残っています。
どういう風に手に入れたかは別にして、絵図面を手に入れることが出来たのです。

 

きっと、裏の米屋には、深夜までその相談が行われていたと思われます。
うどん屋さんー」ってこっそり読んでいたかもしれません。
「吉良様のお屋敷からも、お呼びかかる?」

 

深夜のこうした温かいものは、ご馳走です。
暖もご馳走です。
正しく、相手を思いやる気持ちがご馳走です。
走り回っています。

 

家で作って下さるお母さまの食事は、まさしく「ご馳走」です。
ありがたいと感謝して頂かないといけませんね。

 

その時、一言「おいしかった」と言葉を添えて下さい。
幸せを感じますよ。

 

今日も一日穏やかに過せますように、祈るばかりです。

 

最後まで、うどんの伸びたような長い話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。