''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

どしゃ降りの中、デリバリーな差入れ。

昨日の昼過ぎ、どしゃ降りの雨には、閉口しました。
天をひっくり返したかなような、ひどい雨が降った京都伏見です。
ほんのわずかな時間でしたが、傘すら意味をなさないような雨でした。

こんなあるの中を荷物が到着です。
デリバリーな差入れが入りました。
早速、中を覗いてみると、サンドウィッチです。
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小麦胚芽のパウンドに、辛しマーガリン、きゅうり、ビアーソーセージにクリームチーズのサンドが二つです。
添え付けに、蝶の形のパスタ・ファルファッレです。
私の好きなカレー風味が付いています。

昨日みたいにトマトソースか、クリームソースも、パスタに絡んで美味いですね。
小麦胚芽のパンは好きですね。
ライ麦パンとかも大好きです。
素朴な味わいがあります。

ビアーソー(ビアーソーセージ)とクリームチーズの相性が、なかなかいいですね。
ロースハムよりも、ビアーソーがよく合います。

きゅうりのアクセントもいいですね。
ピクルスでも、相性は良さそうです。

小麦胚芽のパンの素朴さと引き立った一品です。
うまい、うまいと頬張ります。

満足そうにお隣はしています。
策に落ちた気もしますが、気にしません。
こっちこっちと味覚を支配されているようです。

パンと聞くと、中学の教科書にあった「一切れのパン」という小説を思い出します。
よく思い出す作品です。

話は、第二次世界大戦中のハンガリーの首都ブダペストです。
主人公は、二十歳くらいのルーマニア人の若者です。
敵国ドイツに捕らわれ、囚人列車に押し込まれてしまいます。

その貨車の中で老人と出会います。
この経緯の中でいろいろと事件が起こります。
その中、主人公の若者に、ハンカチ包みを手渡します。

「この中には、一切れのパンが入っている。すぐ食べてはいけない。パン一切れ持っていると思うと我慢強くなれる。最後まで食べてはいけない」と老人は言いました。
包みのパンを受け取った主人公の若者は、貨車から脱走します。

逃亡の日々、隠れ隠れ数日を過ごします。
若者は、何度も空腹に襲われることがありましたが、老人の忠告を守り、包みを開けることは最後までなかったです。

若者が、苦労の末、無事に妻が待つ我が家に着きました。
そして、包みを開けると、そこにはパンではなく、木片でした。
若者は、老人に「ありがとう」と感謝するという物語です。

「老人のとっさの知識が、一人の若者を救った」と思える話です。
しかし、ここには二つの結論があるはずです。
一つは、この話のように最後まで、忠告を守った話です。
もう一つは、途中で空腹に負けて、包みを開けてしまった場合の結末です。

その時には、恐怖と同時に絶望が若者を襲います。
人は弱いものです。

この話をよく思い出します。
いつも備えを用意しています。
最悪の備えを、常に持っています。

そうすることによって、自分を制することが出来ます。
私の場合は、特に水分ですね。
水分を取れないと思うと、体調が悪くなります。

仏法世界にも、この一切れのパンのように、最後の最後まで、話さない珠の話があります。
髻中明珠の譬えと言われ、一般に「法華七諭」の七つの例えの中、第六の譬え話です。

「王髻(もとどり)の明珠(みょうじゅ)を解いて 之を與えんが如し」(妙法華経安楽行品第十四)

王は、戦で手柄があった武将には、領地や衣服や宝石などを褒美として与えましたが、自分の髪に結ってあった明珠の飾りだけは、与えませんでした。
秘宝中の秘宝です。
それが「妙法華経」という教えです。

「髻(もとどり)」(髪の毛の束)の中に治められていた宝の珠は、最後の最後にに与える。
王とは、釈迦如来さまの事ですね。
人が貪・瞋・癡の三毒を滅し、迷いから解脱したと見極めたと時期が来たら、そのときに『妙法華経』は説かれます。

そしてこの経典の功徳は、数多く書かれています。
まさしく、一切れのパンと思っていたら、それは木の塊でなく、秘蔵の「宝珠」だったのです。
希望を常に捨てず、大事の前には、どんな小事も捨てる。
仏縁があったことに感謝しています。

同じく仏法世界の中、禅語、つまり禅の言葉にも「明珠」は使われます。
明珠在掌 (みょうじゅたなごころにあり) と言います。

それに気付く時、人は豊かな人生が始まります。
生まれる時に皆さん、仏様から大事なお宝珠を預かっています。
死ぬまでに、それを生かす機会を頂けた人はとてもラッキーな人ですね。

生きることは辛いことが多いです。
嫌なことも多いです。
それも「心の持ちよう」です。

あれもこれも欲しいと欲を出し、人のする行動にいらいらして、人をののしり悪口をいう、日々の人間の生活です。
不幸の始まりが、ここにあります。

因果応報、原因があり、結果が生まれる。
縁起そのものです。

不埒な気持ちを抑え、穏やかに暮らす。
そこには安堵があり、平和に暮らせます。
まずは、今あることに感謝することに気づくことが一番です。
生かさせてもらっていることに、感謝することが必要です。

それでも、欲望のムラムラ虫、イライラ虫、ウジウジ虫が、心に沸いた時は、「観世音菩薩」様の名を一心に唱える。
心の三毒から、逃れることが出来ます。

ありがたいと感謝することが、心のリセットです。
心穏やかになります。
ささやかな幸福です。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、クリームチーズの酸味の聞いたサンドの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。