''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

鷹峯 洛北 常照寺 吉野窓から見えるものより。

ここ数日、先日の鷹峯のもみぢ狩りの記事を書いています。
今日は、その最終の記事です。

三部作というと聞こえはいいですが、なかなかあれもこれもも簡単にスルーすればよかったのかも知れませんが、いろいろとそれぞれ見所があります。
初めて行ったお寺に、こんなところに見所がと、ハンターとして目止まります。
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常照寺は、吉野太夫と縁のあるお寺です。
吉野太夫は、本名・松田徳子、父は西国の武士という武家の出身です。
まるで、松田聖子さんと三浦徳子さんを足したような名前ですね。
廓では、一番高い地位の太夫です。

入ってすぐに、吉野太夫寄進の朱色の山門が出迎えます。
何ともこの時期には、ぴったりの色合いですね。
江戸時代の名妓として一世風靡し、それだけでなく才色兼備を備わった方が、光悦の縁で、日乾上人に帰依して、私財を投じて山門を寄進したことによります。

吉野太夫は、その美貌は唐の国まで聞こえていたと言います。
それだけでなく、和歌、書、茶湯、皇道、音曲、囲碁など諸芸に秀でいたと言いますから、天は二物も三物も与えられたということでしょうね。
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されど、38歳という若さ(病没)でこの世をさります。
美人薄命ということなのでしょうね。
どこかで、人の人生辻褄があうのかもしれません。
細く長くの人生を目指します。

夫は、豪商灰屋紹益に見初められて、一緒になります。
しかし、駆け落ち同然隠れ住んでいたようですね。
豪商として遊ぶのはいいが、太夫を妻にして独占してしまっては、親族も一族も世の中も、それはルール違反というに違いないですね。

一緒になって、12年妻に先立たれます。
それはなかなか辛いと思いますよ。
恋女房ですからね。
もちろん墓もあります。
なかなか質素でいて、趣のある光悦の墓と似ていますね。
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吉野太夫の好んだ大丸窓、俗に吉野窓と言われる窓で有名な、遺芳庵という小さな茶席があります。
小さい腰掛けて頂く様な東屋のような造りです。
柱に短冊が掲げられています。

「無功徳」です。
武帝達磨大師逸話です。
過去の記事でこの意味も紹介しています。
深い意味ですが、この遺芳庵にはよく合っていますね。

この窓、真円ではありません。
一番底のところがまっすぐになっています。
一部欠けているというか、常に真円の100パーセントを目指すという気持ちの表れですね。

一昔前のダイエーのマークと同じです。
常に満足してはいけない訳です。
絶え間ない努力が必要とする禅の教え、「無功徳」にも通じます。

境内の中には、鬼子母尊神が祀られています。
日蓮宗のお寺ですから、鬼子母尊神、その眷属の十羅刹女も祀られることに成ります。
子供を食べる悪い鬼でしたが、仏様に帰依して、子供や母を助ける神様となって、仏法世界で民衆をお救い下さいます。
日蓮宗と、鬼子母尊神さまとはご縁が深いです。

本堂の横にしだれ桜があります。
その大きな岩に、もみぢの木を発見です。
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ここにも秋がありましたね。
家隆卿風に言うならば、「秋を見せばや」ですね。
石と対比したところに、もみぢの美しさがあります。
茶室の中に咲いたもみぢのようです。

花や木の大きさではありません。
その存在そのものです。
いっぱいあればいいものでも、少しであっても、その質でしょうね。

技巧的なものでなく、自然と泰然した存在、小賢しい人間の英知が入っていない自然の偶然に見えます。
たぶん、人間の知恵だと感じますけどね。
数寄者の巧みな侘び寂びの感じも強く感じます。
それも見所の一つです。

秋のもみぢを満喫することが出来ました。
なかなか同じ京都と言えど、伏見に住していますと、鷹峯まで紅葉は見に来ませんから、ありがたい一日でしたね。

日常とは違い、心穏やかに過ごせました。
この日は、心の三毒も少なかったです。
ありがたい時間でしたね。

今日も明日も、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、勤労に感謝し、休日の過ごし方を今一度考えさせられた話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。