''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

北浜の水辺のある風景より。

京都はなかなか寒いですね。
昨日は、四条辺りで雪も降っていましたね。
底冷えがします。
例年に比べて、今年は寒波ですね。
鴨川の水辺も鳥達が賑わっています。

先日大阪に行ったとき、北浜辺りの水辺の風景に、京都にはなかなかない風景だと思いましたね。
リバーサイドと言える高層階のマンションと水辺の風景です。
京橋辺りから、川のある風景は心が癒されます。
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伏見にも疎水という水の流れが街中を通っています。
不思議な風景です。
それでも、北浜辺りの船も通れるような大きな川になると、その辺りの風景も都会的ですね。

私の住する伏見は、昔ながらの街道筋です。
高層階のマンションはありません。
もちろん、もっと下に行けば幾らでも高層階のマンションはあります。
下町風景から比べると、高層階のマンションとそこにある水辺の風景は憧れです。
まるで塔のようです。

仏法世界でも、妙法華経の教典には、塔と言えば多宝佛塔様です。
お釈迦様の教えの正しいことの証明に、登場される塔です。
中には、多宝如来様がおいでです。
塔の扉をお釈迦様が開けられて、椅子に多宝如来様とお釈迦様が並んでお座りになります。

妙と法の二つの多宝佛塔がここに存在することになります。
見えない世界、見えない教え、これが妙の世界です。
妙義と呼ばれますね。

もちろん、見える世界、見える教え、これが法の世界ですね。
こちらも、法義と呼ばれます。
妙と法が一体となった形、これが「蓮」です。

不思議なことが多いです。
太陽が曇りの中から、突然燦燦と日差しが当ります。
天をよく見ます。
不思議なことが多いです。

天を眺めれば、見えないことも感じるかも知れません。
仏法世界でも、証明と言えば、天の証明、地の証明、そして、人の証明という三つの証明が存在します。
小額の宝くじに当った時も、購入したときには、天に二重の虹が出ましたね。
あくまでも、小額です。

天を眺めて、いろんなことが感じます。
見えるか見えないかは別です。
天の証明という言葉に、人よりよく天を眺めて、仏縁を感じています。
ありがたいと感じることが、拠り所となっています。

日々の暮らしの中で、日常の天気の中で、何かを感じることはよくあります。
やはり何かの証明でしょうかね。
同じ証明なら、足元を照らして下さる照明にしたがって、この道を歩みます。
そう、この道がいつか長安に通じていると、思いながらです。

北浜の川の流れも、長安に通じているといいのですがね。
船に乗っての楽な歩みは、やはりありませんね。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、天ばかり眺めた話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。