''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

おうちでビアホール 日本ハム「ブラートブルスト」より。

 

昨日の朝は、肌寒いと思いましたが、日中は汗ばむほどの陽気でした。
今日も朝から、暖かです。

週によって、これだけ温暖の差があれば、体が付いて来ません。
首センターのクビダス(かんとうしょうえの造語)が、高い確率を上げています。
暖かいといいのですが、寒くなった時の首の負担は、いかばかりです。

今日は暖かくなる予感です。
そうなると、遅く帰宅では、シュワシュワな炭酸が呑みたくなります。
もちろん、一日の慰労と来れば、アルアルタイムです。

私は痛風ですから、ビールより発泡酒をよく飲用しています。
最近では、ビールより、発泡酒の方が口に合います。
断然、うまいと感じます。

そんな時、やはり肴は大切です。
日本酒なら、魚も合います。
でも、発泡酒なら、少し脂分がないと物足りません。
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先日、スーパーで買ったウィンナーです。
日本ハム「ブラートブルスト」です。
おうちが、ビアホールというフレーズもお気に入りです。
基本、うち呑みです。

マスタードが付いているのが、他社のソーセージを選ばなかった最大の理由です。
マスタードが大好きです。
ソーセージに粒マスタードは付き物です。
もちろん、イチラーですから一味もいいですし、最近マイブームのタバスコも必要です。
タバラーですからね。

ブラートブルストの意味を調べると、「ブラート」は「焼く」という意味で、ドイツ・ニュールンベルグ地方の焼きソーセージが有名とのことです。
チューリンゲン地方発祥のチューリンガーブラートブルストというソーセージもあるようです。
字の通り、焼いて食べることが基本のようです。

ソーセージなら、焼いてもボイルしても美味いです。
好みは、ボイルが多いでしょうね。
お弁当なら、焼きがいいですよね。

もちろん、「ブラート」(焼き)にして頂きました。
写真の絵面があまり良くないです。
ボイルの方が、綺麗です。
その為、商品パッケージの写真となりました。

なかなかどうしてしっかりとした味です。
肉汁も、肉とハーブのその香りもふくよかです。
なかなか美味いです。

期待を裏切らないです。
さすが、日本ハムです。
これなら、ちょくちょく発泡酒の共に、購入しようと思います。

ブラートと言えば、オブラートでしょうね。
えー?、ご存じないって。
薬を飲むときの、透明なシートですよ。
「オブラートに包んで」と、よく日常でも慣用句として使いますよね。

言いにくいことや、言いづらいことを、直接時でなく間接的に、柔らかく言うことですよね。
これがなかなか難しいです。
仕事場でも、なかなか空気の読めないKY君がいます。
悪い人じゃないだけに、こうしたらいいよって言います。

しかし、二度三度と同じ過ちをすると、こちらもイライラ虫を無視できません。
オブラートを包むように言えないですよね。
大きな声を出すと、その自分に興奮するんです。

イライラ虫も、無視できないほどの大きな声で、怒ることもあります。
日々の中でも、なかなか心の三毒を廃せないですよね。
こちらも変わらないといけないと思いながらも、成長しないことに腹立つます。
もちろん、自分にも腹立ちます。
何か言い方を変えた方がいいのだろうかと、自問自答します。

仏教世界では、人によって、説くことが違います。
待機説法と言われます。
お釈迦様は、その待機説法の達人です。
よく、人を見られています。
この人のいい所を探そうと、それいい所を伸ばすように、説かれているのだと思います。

『分け登る ふもとの道は 違えども 同じ高嶺の月を見るかな』

見方が変えれば、すべて目的は同じです。
その方法やそのプロセスが、違うだけなのかもしれません。

苛立ってもしかたないです。
私も、誰かを苛立てているかもしれません。
それをオブラートに包んで、いい方法に導いて下さるのかもしれません。

私にはありがたい仏縁を頂いています。
いろいろと問題を生じても、解決できるように、自問自答しています。
上手く行かないことも多いです。
そんな時は、「観音さま」の名を唱えるようにしています。

困難は、日常です。
それを苦と思わない性格なら、それまた幸せでしょうね。
それじゃ、KY君と呼ばれそうですよね。
でも、KY君ほどいい意味で、幸せな方もしないのかもしれません。

イライラ虫も、ウジヴシ虫も、心の三毒を観音様がお救い下さいます。
迷信ではないですよ。
「溺れる者は藁をもすがる」の例えもあります。
絶体絶命の危機には、救いの手を下さいます。

ありがたいことです。
生きること、生かされていること、同じ生きるということでありながら、その気持ちは全く違います。

生かされていると思えることが、物事を謙虚にしてくれます。
感謝して生きる人生は、この上もなく尊いと感じます。
日々の暮らしの中にこそ、道はあるように感じます。
道は近きに、ありです。

花を見て、月を見て、特別でなく、日常を心穏やかに過ごしたいです。
ありがたいですね。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈ります。
一人一人の祈りは、社会の多くの人の祈りに繋がります。
何もない平穏な日々こそ、この上ない喜びです。
東日本大震災の被災された方にも、この平穏の日々が早く戻りますように、私も祈ります。

最後まで、旨みを閉じ込めたプディングの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。