''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

天の証明、大きな虹の橋より。

暑いですね。
いやはや、この暑い中、朝からオフィスの仕事がスムーズに行きました。
なかなか時間の掛かる仕事でしたが、何とか上手く行ったと、ほっとしています。

その為、昨日は大阪日本橋に出向いていたわけです。
昨日も暑かったです。
今日は、それ以上の真夏日です。

スクーターで、この日差しの下1時間ばかりの出張でした。
腕がひりひりしそうです。

先日の日曜日、いろいろな用事を済ませようと、一気に物事を進めました。
お友達のプレゼントやら、必要な買い物やら、散髪やらと、あれもこれも盛りだくさんの一日でした。

お気に入りの大黒屋のらーめん食べて、家路に就こうとして、電車に乗っていると、車窓から凄いものが見えました。
ところが、誰も気づいていません。
1人ラッキーです。
大人の皆さんは、意外とそんなことに興味がないんですね。

イメージ 3

イメージ 1イメージ 2

大きな虹が、空に掛かっています。
凄いです。
これは、天の証明です。
何かって、この日「震災復興」の宝くじを買いました。
当りですね。

過去に同じような虹が、宝くじを買った日に現れました。
それも、大きな二重の虹でした。
あの時も、宝くじが後に当たりました。

当ったと言っても、3300円です。
自分の分にあった当選です。

それで、マグカップ買ったり、「赤穂浪士」のDVDを買ったりと意外に楽しめました。
その虹と同じです。
天の証明です。

証明には、天の証明、地の証明、そして、人の証明の3つがあります。
まさしく大河ドラマの『天地人』です。
仏の世界では、この3つの証明なくして、真実の教えであることが証明されないと聞きます。

ありがたい天の証明に、これはラッキーと、1人ほくそえんでいます。
慣用句では、北叟笑む「ほくそ笑む」と言えば、笑う事です。
それも、控えめに微(かす)かに笑うや、満足そうに微笑(ほほえ)む程度で、ひとり悦(えつ)に入って笑うという意味で使われています。

この「ほくそ」とは、漢字なら「北叟」で、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」の故事に由来すると聞きます。
私的には、前東京知事の「青島だぁー」の「人間万事塞翁(さいおう)が丙午(ひのえうま)」でしょうかね。

学生の時、この故事は習いました。
概略は、次ぎの通りです。

老人の大切な馬が、逃げてしまい、落胆していると、その馬が雌馬を連れて帰って来た。
これには、大喜びです。

しかし、その馬に乗っていた息子が、落馬して骨折をして、跛になりました。
これには落胆ですよね。
大切な息子が、体が不自由になったのですからね。
如何ばかりの心労だっかでしょうね。

しかし、この為息子は兵役と行かずに済んだ。
戦に行った村の他の息子は、全員戦死です。
この時、この老人が一人ほくそ笑んだと言うのです。

この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」という書物に投登場するようですね。
豆腐のところでも書きましたが、この書物の淮南が、豆腐の古い名前です。
その由来も、昔の記事にしています。

人間万事塞翁が馬」の「人間(じんかん)」とは、日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味ことがネットで調べると乗っていました。

また、「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。

「人の運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと、人生を変化させるものですね。まったく禍福(かふく)というのは、人では予測できないものようです」

災い転じて福となる。
なかなか上手く行ったものですね。
何か、豚まんの蓬莱のCMの「有る時」・「無い時」みたいですね。

人生には、禍福の時は少ないです。
何もないのが一番です。
日常の暮らしで、飛びぬけ幸福なことも、滅多にありません。
また、飛びぬけ不幸なことも、滅多にありません。

ですから、何もない平穏な人生が、もっとも幸せなんですね。
自分の分にあった幸せを、ささやかながら見つけられたことが、一番の幸せです。
小さな幸せの積み重ねが、もう少し大きな幸せに繋がると信じています。

天の証明、この大きさなら、3000円で充分です。
私の分にはちょうどです。

当ったら、何を買おうか、考えるだけで楽しいです。
これも、ささやかな楽しみです。

当らなかっても、それも幸せなことを想像出来たことが、ラッキーです。
当っても当らなくても、楽しめるという二つの楽しみを、手に入れたことになります。

出来ればと念ずるのは、凡夫のサガです。
何買おうかなと、獲らぬたぬきの皮算用ですね。
煩悩だらの迷える子羊です。

それじゃ、仏さまの世界でなく、キリスト様の世界になりそうですね。
もちろん、答えは「イエス」と言って下さいね。(今日はここしか、笑えるとこないですよ。ねぇ、とおるちゃん!!)(世界最古のギャグと言われていますね)

私は、ありがたい仏縁を頂けていると感じることが、幸せです。
日々の暮らしの中で、それを感じます。

同じ場所に居ても、天の証明を見れた人と、見れない人がいるのも、事実です。
これが、仏縁があるかないかの、境目でしょうね。
人生の岐路には、いろんなものが見えるはずです。
その仏さまのサインを逃さないようにしたいです。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、馬や狸や羊やらのルーZOOな話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。