''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

『本間宗久相場三昧伝 -相場道の極意-』(改定前)を手に入れるより。

昼間は、日差しのある秋の晴天が続きました。
朝晩は、やはり肌寒いです。
夕方も、日の落ちるのが早く、日没は一気に肌寒いですね。

 

今日は、平日の休日です。
午前中は、首と肩の治療に、病院でマッサージを受けました。
先日と同じ先生で、今日も私と相性のいい先生に当り、幾分か体も軽いです。
ありがたい事です。

 

所用があり、久しぶりに寺町辺りまで出かけました。
京都で寺町と言うと、電気屋さん街です。
一昔前までのイメージはありません。

 

ミドリが、久しぶりに出店です。
寺町だけでなく、大手筋にも出店です。
少し家電も買いやすくなった感じです。
今では、寺町から、京都駅に家電は移っています。

 

それでも、パソコンやら細々したものは、寺町でも買えることは、私にとって便利です。
京都駅前は、人が多くて疲れます。

 

ヨドバシカメラの勢いが、今の京都では一番ですね。
値段は、私が欲しいものは、それほど安くないです。
それでも、テレビとかは安いですね。
すぐに配達もしてくれますし、配達料も無料の商品もあります。

 

大きなものは、ヨドバシカメラでじっくり見るのもいいです。
品数の多さは、さすがです。

 

パソコン機器は、また別ですね。
私の欲しいものと、置いてある物に、少し違いがあります。
ちょっとしたものは、別に有名メーカーの商品でなくてもも、いいからです。
ちょっとしたものは、寺町のいつものパソコンショップで買いますね。

 

安いです。
激安です。
使い分けをしています。

 

もう一つ、寺町へ行くのは、「本」です。
古本屋さんが多くあります。
私がよく行く古本屋が、寺町にあります。

 

京都ほど古書の多いところもありません。
それも激安です。
私愛読の『禅語の茶軸 一行物 』芳賀幸四郎著 淡交社、などもそうです。
欲しくて欲しく探していた本が、特売の200円で偶然見つけました。
仏教書などの中に、ぽっりと見つけました。
ラッキーです。
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古い書物が、それもいい書物が手に入ります。
そんな中、今日もいい本が目に入ります。
その本とは、『本間宗久相場三昧伝 -相場道の極意-』(改定前)です。

 

本間宗久とは、もちろん初めて聞く名です。
恥ずかしながら、存じません。
でも、「読んで見たら、お買い得ですよ」と、声が聞こえたのです。
100円で、ゲットです。

 

ネットで調べると、本間宗久は約290年前の享保2年、山形の酒田に生まれ、米取引で
連戦連勝、その売買の鮮やかさから、「相場の神様」と呼ばれていた人物です。
その宗久の秘伝の書(本書)は、現代の株式市場でも非常に参考になるようです。

 

世の中には、いろんな神様がおいでですね。
「商売の神様」も「トイレの神様」も、「うん(運)」にご縁がありますからね。
(今日は、ここしか笑うとこないです。ねぇー、とおるちゃん!!)

 

そうそう、商売の神様の生誕日も近いです。
確か「商売の神様」のお父さんは、米相場で失敗されたと聞きます。
不思議なご縁です。

 

勝負に関する本は古今東西数多く存在するが、本間宗久翁(1717~1803)の遺稿こそが、最良の名著といわれており、定評のあるところ。宗久翁は江戸時代の単なる一相場師(米相場)ではなく、その見識、実践、人生訓のすべてに大いに学ぶ所があり、現代の株式相場にも立派に通じる。(まえがきより)

 

私も縁あって、この世界に足を踏み入れてしまいました。
と言っても、額が小額ですので、プロの世界とは違います。
それでも、人生の節目も近いと感じ、金銭を必要としています。
何としても、まとまった金子が必要です。

 

そんな理由で、こんな世界に入門です。
お蔭様で、プラスのままです。
そろそろ、本格的に、損切りしても、勝ちの勝負をしたと思っています。
プラスマイナスをなして、プラスの結果につなげたいです。

 

生活に影響しない範囲での、勝負です。
やる以上勝ちたいです。
私の暮らしでは、贅沢するための金銭は、必要ではありません。
結果が、目標に達すれば、一応の区切りが付きます。

 

そのまま、今まで通り、貧家の暮らしを続けます。
もしかしたら、もっと貧家になるかもですね。

 

意外に、それはそれで楽しいです。
生きて行くに、金銭は必要です。
老後の為にも、テクニックは学びたいです。

 

その為の「温故知新」、過去の「相場の神様」の語録を学びます。

 

名言 その一 (3章)
「火中へ飛び込む思い切り、一統騒ぎ立つ節は、人々西に走らば、我は東に向かう時は極めて利運なり」

 

ここは、なかなかいいですね。
周りの様子に惑わされないで、自分を持つという事ですね。
相場には、逆らわないでも、人の流れに逆行するのは、ありですね。
人と同じでは、利益は出来ません。

 

名言 そのニ (40章)
「後悔に二つあり。是を心得べし」

 

後悔に二つあると言っています。

 

一つは、もう少し待てば、相場が上がるかもしれなのに、勝ちを急いで利喰いが早すぎ、もう2~3分もうけ損なった時の後悔です。
この後悔は、笑って見過ごすことが出来る後悔です。

 

もう一つは、充分に利が乗っているのに、欲を出して、もう少しもう少しと「天井で売ってやろう」、結局相場が急落して、損をしてしまった場合の後悔です。
こちらは、後味の悪い後悔です。

 

常に腹八分を、心得ろとの教えです。
これも肝に銘じます。

 

名言 その三 (41章)
「通い運びは秘伝なり」

 

極意は、毎日の相場を知ることの意ですね。
毎日毎日、流れを知ることにこそ、「放れ(底からの上伸、天井からの下落)」を見分けるのが秘伝と言われています。
なるほどです。

 

名言 その四 (48章)
「休むも大事」

 

毎日毎日、相場で売買をすることをせず、間を空けて休むことも必要だと言われています。
負けが生じれば、早々と売り、じっと流れを見ることが、休みということですね。
毎日毎日、勝ちはありません。
勝っている時ほど、これを肝に銘じないといけませんね。

 

名言 その五 (71章)
「もうはまだなり。まだはもうなり」

 

なるほどです。
こちらも、腹八分のことですね。
やはり、欲を前に出さず、冷静に落とし所を見つけることですね。

 

本書は、米相場の話ですので、季節柄や米の出来不出来も書かれています。
しかし、当時江戸時代の大坂の米相場と言うと、世界の中でも先進的なシステムです。
それを日本でやられていたことに、驚きですね。

 

米相場で、巨万の富を得たと言う話は、時々聞きます。
あの柳生の里でも、ありましたね。
現在残る家老屋敷も、井戸の水の温度で、米相場の利を得たと言うのを聞いた事があります。
剣術より、算術に長けた家老の差配が、当ったという事ですね。

 

すでに、大阪北浜と言えば、大阪株式市場です。
大阪と東京の一本の道に進んでいるようですね。

 

時代は変ろうと、相場は人間の心理が、大きく影響します。
メンタル管理も必要です。
負けて一文なしに成り果てるのか、目標に達するのか、不明です。
しかし、欲を出さず、ほどほどに利を得ることは、意外に私の性分に合っていそうです。

 

仏の世界も同じで、「欲」からの脱出が、幸せへの道ですね。
欲が、「不幸」を導き出します。
欲が「三毒」を生み出します。
それが解っていても、人として暮らしも必要です。

 

ええ、矛盾ですね。
ですから、三毒に心を侵されます。

 

上を見ても、下を見ても、キリがないです。
自分の身の丈に応じた暮らしが、幸せです。

 

相場は、あくまでも相場の話です。
上手な運用が求められます。
相場だけでなく、人生の極意が、この本に書かれているように感じます。

 

この米を運ぶ道が、長安に続く道にも通じています。
ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいことです。

 

この本との出合いも、そんな仏縁なら、その道にすがってみるのも、方法の一つです。
どんな道に、通じているのか、解りません。
それでも、人生の節目があるならば、それも越えねばなりません。

 

禅語に「松に古今の色無く、竹に上下の節有り」と言うのがあります。
松に竹、無と有、古今に上下、貧富も、老若・男女も、平等でなく、そこにあるのは形の上で、不平等です。

 

それも、現実です。
これも、仏の世界上では、平等です。
すべてが同じと言うのが、本当の平等ではありません。
もともと、この世は、仮の「空」ですからね。

 

心のあり方ですね。
幸せも同じですね。
自分の分にあった幸せが、一番の幸せです。
日々の暮らしの中で、ささやかな「よかった」を探すことが、私の幸せです。

 

花を見て、月を見て、名書に読み、そして酒を呑む。
至福です。

 

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それが願いです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、気ぜわしいほんま早急な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼もう上げます。