''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

三連休の初日は、郷里播州にて より。

朝から暑いですね。
昨日も暑かったです。
さすがに、これだけ暑いと体調が悪くなります。

昨日は、親子三人で、播州に帰省していました。
もちろん、日帰りです。
年老いた父母に、孫娘のゆうゆうの顔を見せに行ったのと、祝い事のお祝いの所用の為です。

久しぶりに顔を見た父母は、それそれに大満足見たいでした。
母などは、昼ごはん食べて、少しして用意していたお菓子を、ゆうゆうに食べさせるのだと、言い張ります。
私と父は、食べ過ぎているので、もう少し時間を置いた方がいいと諭しましたが、言うと聞かずの強情です。

市販の菓子は、ほとんど食べされたことがありません。
食べされるのは、贈答品で頂いたり、そのついでに私が購入した来たような千鳥屋の本千鳥の饅頭などです。
やはり、駄菓子類の甘さを覚えさせては、いろいろとやりにくいですからね。
本人は、嫁手作りのケーキやスィーツで、十二分に満足しています。

たまには、いいと母の言い分ですが、帰省した時くらいは、母の言動を多めに見ています。
それに遡ること、昼ごはんもたっぷり食べています。
食べ慣れたモノを、弁当箱に入れて、ゆうゆうの食事の用意は、しています。
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昼の食事は、兄嫁が用意してくれました。
夏の播州定番の素麺です。

いろいろな薬味をあしらえてくれています。
これだけ彩りがいいと、素麺もご馳走です。
ご馳走様でした。

ゆうゆうも、素麺は大好きですが、この日の口は、おにぎりでしたね。
最近、手抜きの夕食に、麺類が続いたのが、ゆうゆうが、触手を伸ばさなかった理由だと推測されます。
クタクタになって帰って来たから、食事の用意は、疲れます。

ですから、最近のゆうゆうの言葉に「クタクタ? 」とか、「しんどい?」が入ります。
私の口癖をそのまま、言葉にして発しています。
あまりいいことではありませんが、娘を朝保育園に送って、分刻みで地下鉄の乗り込み、昼ごはんも取らずに、夕刻娘を保育園に迎えに行きます。
ほとんど、分刻みのスケジュールでは、大統領でもあるまいし、目が回る程忙しいです。

総理や大統領には、成りたくたくないですが、このご時世なら、時の本間宗久には、なりたいですね。

都都逸にあるような「本間様には及びもないが せめてなりたや 殿様に」 BY よみびとしらず

当時そんな世の中に有名な方なんです。
本間宗久とは、酒田五法という株式などの取引市場のテクニカル分析で、米相場などで巨万の富を得た方ですね。
それだけでなく、本間宗久と言えば、本間家三代目当主で、自費で数多くの公共事業に着手して、最上川の治水、飢饉における救済、防砂林の設置、灯台の建設などの公共的な事業の他、藩士救済の為、借金の低金利での借り換えなどを行ったと言われています。
とにかく、殿様よりも、格上の方なんですね。

私も、その書物を読みましたが、酒田五法という株式などの取引市場のテクニカル分析と言うより、哲学的なモノの考え方の指南でしょうね。
三川宵の明星、川明けの明星などビジュアル的なネーミングに妙がありますけどね。
そうした米相場のテクニカルとは別に、人海戦術による情報を得ていたのは、豪商ならではのテクニカルです。

上がる下がるの見えないビットコインでは、こうした利益を得るのは、難しいかもしれません。
時勢を見る臭覚的なモノを持ちえる方が、居られるのは確かです。

素麺のように絡んだ世の中では、なかなかそうしたよりよい才覚を発揮できないモノです。
そんなモノは、私のように、分刻みのスケジュールでも、じっと手を見るしかありません。

「 はたらけどはたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る」 石川啄木『一握の砂』 より。

そんな短歌を思い浮かべる暮らしですが、娘との暮らしは幸せです。
ささやかですが、親子三人の暮らしは、幸せです。
ありがたいと、神仏に感謝しています。
 
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。