''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

千の花 無限の美。日本いけばな芸術展 より。

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朝から雨模様です。
昨日といい、今日といい、お天気が良くないです。
その分、後半のゴールデンウィークが、晴天に恵まれるといいでしょうね。

この雨も、花や木々には、しばしの休息となるでしょう。
花と言えば、28日に大阪難波の「千の花 無限の美。日本いけばな芸術展」に参りました。
もちろん、いつもの同行カメラマンの招待状にて、鑑賞です。

日本中のいけばなの流派の花が、展示されています。
それも、どこどこの学生さんのと言うのでなく、宗家も含むいけばな世界では、先生と呼ばれるような会員、特別会員など、日本を代表するような華道の先生の作品が一同に見られました。

いけばなと呼ぶより、今回の展示は、芸術やアートと呼ばれる花を用いた表現として、見た方がいいです。
期を照らした作品が多く、少し残念です。
花をモチーフにしたという点では、いけばなでしょうが、私の思う作品とは違います。
少しがっかりしました。

その中でも、宗家や日本を代表する華道家の花は、保守本流の伝統的な美を、気品高々にその作品を投影していたことに、喜びを感じました。

季節季節の四季の中に、花がある。
そんな気持ちに慣れましたね。
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5月の端午の節句をイメージした展示です。
この展示は、良かったですね。
日本の伝統的な美の継承です。
兜が何とも言えず、菖蒲の花?と合います。

他に気になった作品に、作品番号129、華道日本未生・平尾星賀斎(特別会員)氏の伝統的な作品に、しばし見入っていました。
竹の花入れが、舟になっています。
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気に入ったのは、その姿だけでなく、舟の下です。
碇を思わす2つの台座が、そこにあります。
その上に、舟に見立てた花器があり、その中に花が生けられています。

大抵の人は、その下までご覧になっていないと思います。
そうした遊び心が、何とも優雅に感じました。

正面から見ようとしたら、3人のご婦人が談笑されています。
あれ?
正面の品のよいご婦人に、名札が付けられています。
この花を生けられた華道日本未生・平尾星賀斎先生ご本人様でした。
一言二言、言葉をかけて頂きました。

この展示には、作者が多くおいでになっておられます。
和服の帯に名札を付けられています。
さぞや、有名な華道家の方でしょうね。

もちろん、作品の中には、京都の池坊氏の作品もありました。
うーん、微妙です。
私には、そのようなアートの世界はよく分かりません。
やはり、伝統的な和室に合うような、いけばながいいですね。

そこに「秘する花」があると感じます。
一瞬一瞬が、違う花の姿や形、その場にあった花、設えにあった花が、空間にあるだけで、
心が落ち着き、豊かになります。
花の妙です。

「花は野にあるやうに」、『南方録』の一節が思い浮かびます。
華道という世界と、茶道の世界が違うのは、当然分かります。
茶室でのいけばなの話ですからね。
でも、野にあるようにと言うのは、まるで野に咲いている自然の風景を想像させる、という意味だと感じています。

そこに、茶室では、花器に工夫を凝らします。
竹の花入りしかり、籠の花入れしかり、陶器でも同じです。
その花を生けたことによって、主人の数寄者のセンスが見え隠れします。
見えない世界を、見えないからこそ、想像させる空間が、茶室でしょうね。

いけばなも然りだと感じます。
華美な演出は、それなりのイメージが付きます。
しかし、その演出と花の美を比べれば、人が造作した美と花の持つ自然の美、どちらの美が美しいのか、いつも対極しそうです。

花は花として美しい。
その花の美しさを、盛り立てる、いれがいけばなのような気がします。
花の美しさより、アートしての演出の美だった作品が、多かったと思います。
何分、素人の感想ですので、ご容赦下さい。

禅の言葉・禅語に「莫妄想」(まくもうぞう)と言うのがあります。
妄想すること莫(なか)れと言う意味でしょうね。
相対的な見て、ものごとに執着して、思いわずらうことなかれとも言えます。

出展は、第二回蒙古来襲、弘安の役(1281)を前に、無学祖元がこの言葉をもって、時の執権北条時宗を諭した言葉と聞きます。

結果は、神風によって救われたことはご存知です。
もちろん、神風という台風です。
特別な神通力によって、神風が吹いたのか、偶然の産物かは、分かりません。

あれやこれやと妄想しても仕方ないです。
なるようになります。
ただ、余計な作為によって、その被害が甚大になることがあります。

今回の東日本大震災の愚策みたいです。
その場の言い逃れのようになって、国益を考えず、場渡りに被害を甚大にした。
そのことによって、故郷を失ったり、家族を失ったり、財産を失った方が多いです。

菅前首相、人為的な失策に対する責任があるなら、一命を落として、国民の利益・幸せを追求することが、必要です。
政治家としては、すでに終わっています。
二度と、総理にはなれないです。
なら、私を捨てて、国益に尽くすべきです。

鳩山元首相も、同じです。
無責任な発言によって、どれだけ多くの人が迷惑したのかを考えれば、政界から去り、巨万の資産を国益のために、私財を投じるべきです。

民主党に次回の政権はありません。
自明の理です。
しかし、二番手の信託できる政党がいないのも、事実です。
今の自民党じゃ、その国民の信託を受け入れることが出来ないです。

谷垣総裁では、政局を不安定にするだけです。
政治理念が、見えません。
何をしたいのか、何をして国民の利益につなげたいのか、全く見えません。

三者に言えるのが、「莫妄想」(まくもうぞう)です。
滅私奉公すべきでしょうね。

それに岩手の先生も、汚れた手で、何をすることも出来ないです。
国民を愚弄することかなかれです。

今回の裁判は、黒ではなかったといけないだけで、白ではなかったです。
黒に限りなく近いグレーだった。
白であると国民の多くは、思っていません。
これ以上に、日本丸を沈めないで下さい。

何処か流されないよう、碇を下ろしてほしいです。
国を守る、国民を守るという、秘する花を見つけて欲しいです。

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
日々の暮らしの中、ささやかな幸せを見つける術を得たような気がします。

嫌なことも、上手く行かないことも、多いです。
それでも、自分の分を見つけて、日々の暮らしを過ごします。
その中にこそ、幸せがあると信じています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、碇(怒り)繋がりの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。