''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「逸翁が見た海外」最終日より。

日曜の午後というのは独特ですね。
家でゆっくり過ごすのもいいし、どこかに出かけるのもいいです。
暑いですから、涼しい所で優雅な時間を過ごせたら素敵ですね。
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先日の片道切符の誘いを受けて、池田に行って来ました。
逸翁美術館に行くためです。
今回もこっちこっちのご招待のお裾分けに頂きました。


逸翁とは、小林一三氏の雅号です。
小林一三氏と言えば、戦前戦後と関西経済、日本経済を支えた経済人です。
戦前には、商工大臣の重責を勤めた人物としても、ただの経済人とはすこし違います。

戦前戦後と海外に行かれた時に買い求められた逸品が展示されていました。
三菱、三井、それらの旧財閥系が所蔵する美術品としてすこし違います。
前回にも呉春の展示に来たことがあります。

展示の数はそれほどでもありませんが、粒が揃うと言うのか、内容の濃い展示内容です。
今回も、陶器の展示が中心です。
展示のメインに置かれる一つに、「色絵人物花果貼付飾壷」があります。
大変立派な作品です。
芸術品ですね。
逸翁が手に入れた時に喜んだのが分ります。

今回の展示には、どういう経緯で、その作品を求めたのか、逸翁の手記が一緒に展示されています。
その中で、驚いたのは、この作品が高いのか、安いのか、そうした金銭感覚がしっかりとあると言うことです。

三菱がその財力に任せて、欲しいままに手に入れるようなことはさせていません。
もっと市井の骨董屋なら、もっと安く手に入れることが出来たとか、日本の蒔絵の作品が、低く評価されていたのを我慢できず、買い求めたとか、そうした人間味が強く感じましたね。

いろいろな作品があります。
しかし、茶人として数寄者として逸翁の目に狂いはないですね。
どれも、茶席に使かえるものは、余すことなく、使用しています。
作品番号61の白地色絵薔薇文水指(フランス・セーヴル窯)は、どう見ても西洋の焼き物です。
しかし、これに黒い蓋を付け、水指に仕立てると、やはり茶事に使える水指ですね。

この作品を見る眼力はすごいですね。
中国の染付の作品も西洋に与えた影響をよく表しています。
西洋製の中国風の染付が印象的です。

イギリス・ウェッジウッド、オランダ・デルフト、イタリア・マジョリカ、ドイツ・マイセンやドレイデン、ロシアにといろいろな作品が、茶人・数寄者としての目から見た眼力を余すことなく、伝えています。

ややもすれば、こうした西洋の陶器やガラス製品は、茶の侘び寂びと違う方向に走りがちに感じます。
しかし、逸翁はぶれていないですね。

自分流のお茶を、心の交流の場、主客の交わりという点に特化した茶ではなかったのかと感じましたね。
茶室も多くありますが、見た目にそれほど財をかけずに、心の交流の場として、精神の修養の場としてのお茶室を見ましたね。

堅苦しいことに走らず、それでいて、自分の求める茶の湯を進めた気がします。
作品にもそれらが感じ取れます。

今回、一番見張ったものの中に、デミタスコーヒーカップ16客があります。
カップとソーサーのセットが、何ともいいですね。
すばらしい出来です。

今でも十分に使えるし、愛用品として日常に使いたいと感じるすばらしい作品です。
とても緻密で、それでいた繊細であって、意匠も素晴らしいですね。
時を越えて、道具の美というものを伝えましたね。

いい時間を過ごさせもらいました。
続けて、小林一三記念館も見に行って来ました。
住まいにされていたお屋敷は、想像以上にこじんまりとしたお屋敷でしたね。
逸翁の経済感覚をここに見た気がします。

事業の公共性を強く感じましたね。
自社の利益だけでなく、地域の住民、周り人々の喜びを求めた方のようです。

宝塚歌劇団、後の甲子園に続き高校野球の開催、阪急沿線の住宅開発、東宝の映画の事業拡大と、生活と楽しみの融合、日常と非日常の結合ともいうのでしょうか、夢を庶民に与え続けてくれましたね。

庶民の目線を最後までぶれることがなかったですね。
関西だけでなく、東京でも大きな事業の成功に尽力されています。
それでも、関西のこの池田をこよなく愛された方ですね。

こんな生き方も羨ましいと感じましたね。
生きているのでなく、生かされているとお感じで有ったように思えます。

一切衆生を救わんとする仏の願いにも近いものを感じますね。
ありがたい偉人に触れた気がした時間でしたね。
ありがたいと感謝です。

この逸翁が見た海外展、良かったですか?と尋ねられると、陶器だけに「そーさー」と答えると面白いのかもしれません。
こんな落ちになりました。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、自分の器を越えた話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。