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大嶋雲八義近(おおしまうんぱちよしちか)
姓 源姓
本役 寄合
禄高 5000石
生年月日 寛永2年(1625)
享年 元禄3年5月29日(1690.7.5)没 67歳
火付盗賊改就任年月日 寛文9年5月14日(1669.6.12)
解任年月日 寛文10年7月3日(1670.8.18) 解任
大嶋茂兵衛義唯の2男 初め兵吉、後に出羽守を叙任した。
嫡男 義也は、4700石(弟・義全に300石を分与)、伊勢守、肥前守を叙任した。
母は、摂津尼崎城主、播磨林田初代藩主の建部長政の娘。
因みに祖母は、池田輝政の姪で養女 、下間頼龍の娘 である。
また、赤穂事件で討ち入り前に切腹した赤穂浪士の萱野三平の実家である萱野家は、大嶋氏の家老職を務める家であり、三平の父・重利や兄・重通はこの4代目の大嶋義也に仕えていた。父・重利は主家の浅野家が改易となり浪人となった三平に、主家の義也に仕えるように説得したが、同士と実家との板挟みとなり、切腹したとされている。
川辺大嶋氏の家系は、この3代義近と続き、10代義直になって、明治維新に至る。
『旗本大嶋氏家系並経歴書』 参照