''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

サッポロ一番 みそラーメンを食らう より。

朝から暑いです。
昨晩に注文が入って、朝から発送手続きを慌しくやっております。
午前中に取りに来てもらおうと思うと、9時過ぎには集荷の電話を入れます。

暑いので、体から塩分が抜けます。
体質的に、体から塩分が出やすい体質です。
カラカラの暑さだと、手や首に塩が吹きます。
幾ら塩分とっても、追い付かないくらいです。

ですから、食事も少し塩分多い目です。
そんなもので、水分もよく飲みます。
痛風患者には、いい傾向です。

昨日も、スーパーの特売で、袋のインスタント麺を見つけました。
サッポロ一番 みそラーメンです。
定番中の定番のようです。
インスタント麺の売り上げ上位の3本に入るようです。
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子供の頃から食べ親しんだ味です。
最近のマイブームは、袋のインスタント麺です。
野菜をいっぱい食べられるのが、嬉しいです。

カップ麺では、野菜を入れることも難しいです。
その点、袋麺はお肉や野菜など入れると、体にも優しいです。

夏の食欲不振も、これで少しは改善できます。
インスタント麺が、体にいいとは思いませんが、少しの工夫で野菜を取れるのはいいことです。

サッポロ一番 みそラーメンとは言えば、藤岡 琢也さんですね。
1969年から2004年までの35年間のテレビCMをされていました。
渡る世間は鬼ばかり』では、頑固なお父さん役がはまり役となりました。

私にもご縁と言えば、同じ播州のご出身です。
他に郷里の偉大な先人と言えば、桂米朝さんです。
このお二人は、実は関係があったんですね。
米朝さんが、藤岡 琢也さんとお会いになった時、「あんた覚えていなさるか?」と言葉を発したといいます。

桂米朝さんと、藤岡 琢也さんは同じ小学校の出身であって、米朝さんが6年生、藤岡 琢也さんが1年生の時、手を繋いで遠足の時に行ったことがあったと言います。
それを米朝さんが記憶されていて、そう言葉をかけたと聞きます。

私も、小学生6年の時、1年生の手を引いて、潮干狩りに行った記憶があります。
もちろん、誰かは今でも知っています。
同級生のKさんの弟です。

中学生2年の折、Kさんの家に行った時、その弟が、私の顔を見て、潮干狩りに一緒に行ったお兄ちゃんと覚えてくれていました。
もちろん、私は知っていました。

たった一日の出来事も、しっかり記憶しています。
米朝さんは、やはり凄い方です。
何十年もしてからは、なかなか分からないでしょうね。

なかなかいい話です。
米朝さんと言えば、最近落語をされることはありませんが、一門会ではご一緒に行かれることが多いです。
そんな時、息子の桂 米團治氏が、飛行機で移動している最中の話です。
地方の飛行場では、貨物用のエレベーターしか配置されていなくて、高齢の米朝さんだけでも、エレベーターに乗せて欲しいと、お願いしたと言います。

これは、荷物専用で人は乗れませんと、キャビンアテンダントに言われると、つかさず「いえいえ、一門のお荷物ですから」と言ったとも言います。
なかなか笑えませんね。
息子ならではの、シャレでもあります。

米朝さんと言えば、「味の招待席」(朝日放送)のナレーションを思い出します。
サッポロ一番みそラーメンなら、どう表現されますでしょうね。
バッハのチェンバロ協奏曲第4番 イ長調 BWV1055(オーボエ・ダモーレ協奏曲からの編曲)の第三楽章がバックに流れます。(Wikipedia参照)

まずは、袋から麺とスープを取り出します。
ぐらぐら湧いたお湯に入れ、静かにほぐれるまで待ちます。
茹で上がるまでに、お肉や野菜を入れて、湯で上がりの時間を調整するわけですわ。
温めたラーメン丼に、玉子、もやし、コーンなど、優しく盛り付けます。
みその香りが、たまりませんなぁ。
五臓六腑(ごぞうろっぷ)にしみわたるー!」

そんな手順で作ったサッポロ一番みそラーメンを頂くとします。
懐かしい味です。
もやしもたっぷりと、盛り付けます。

こんな物が、これほどに美味いとは、貧乏人でよかったです。
金持ちに生まれて来たら、知らない味でしょうね。
ささやかな楽しみです。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せ手があります。
ありがたいとことです。
これも仏縁のお蔭です。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、念じます。

最後まで、手前味噌な話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。