''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都二条寺町上る茶の名店・一保堂にて、茶を喫す より。

昨日のゴールデンウィークの続きです。
学生時代の友人・あゆあゆのパパと三条木屋町下った有喜屋で、昼餉を食して、その後酔い冷ましに木屋町を下りました。
この日の通りは、観光客でいっぱいでした。

この後の予定を考えず、下ったのはいいものの、どこに向うのか、定めがありません。
思いついたように、あゆあゆのパパが、お茶を飲もうと誘われました。
どこにあるのか分からず、付いていくと、あれ? 逆方向に進んで行きます。

木屋町が細い路地を通り抜けて、河原町通りに、そして、寺町通りに、西に進み、そして、寺町を北に向いました。
やはり、三条を越え、御池通りまだ北に上ります。
京都は、北に向うのは、「上ル」、南に向かすのは、「下ル」と言います。

それは住所でも同じです。
地名の中に、「何々通り上る何々町110番地」のような表記をします。
手紙や葉書のあて先も同じです。

縦の横の交差点が、住所が特定できます。
碁盤の目の中は、地図は要りません。
初めてのところでも、凡そ検討が付きます。
この辺が、京都のいいところかも知れません。

寺町二条の辺りは、弁護士事務所が多いかもしれません。
それに骨董屋も多いです。
そんな中、お茶の名店・一保堂があります。

店内の「喫茶室嘉木」で、お茶を飲むことが出来ます。
もちろん、日本茶です。
喫茶の店名は、陸羽の「茶経」の書き出し「茶は南方の嘉木なり」からと推察されます。

濃茶・薄茶もあれば、煎茶などのお茶も選択できるシステムのようです。
煎茶なら、お茶入れる道具一式と、ポットが運ばれます。
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この日、頂いたのは、薄茶です。
関の白(かんのしろ)(525円 菓子付)です。
お道具も楽しませて頂けます。

お茶菓子は、季節を先取った「紫陽花」です。
何とも優雅です。
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驚いたのは、あゆあゆのパパが、茶道のお免状を持っていたと言う事です。
何やらお茶に興味があるとの事ですが、作法の方は忘れ気味との事でしたね。
仕事の上で、茶道を習っていたと聞きます。

それでも、彼がはまっていたのは、漫画『へうげもの』(ひょうげもの)という古田織部主人公の話です。
アニメにもなっていて、意外と面白いです。

利休の「わびの美」に対して、歪んだものに対する「一笑の美」を見出して行きます。
未完成品や不完全な物に対する美を見つけるわけです。
割れた水が漏るような花入れであったり、釉薬が上手く回らず生焼けの不完全な「梅花皮」(かいらぎ)より、もっと歪んだ美です。

器自体が、歪んでいます。
どう見ても、茶を喫することがしにくい茶器もあります。
そこが、何とも言えず数寄者の心をくすぐるわけです。

古田織部の場合、自分の作為で作らせた織部焼が有名です。
織部焼自体、その緑釉が美しくい世界の中でも珍しい色合いの器です。
その緑や黒の茶碗に、稚拙な絵と言うか、象形的と言うのか、不思議な図案が施されています。

何とも言えず、いい感じです。
茶器としてでなく、料理を盛り付ける器にも、緑釉の器は料理を引き立てます。
今でも、多くの料理屋で、織部焼が使われています。
刺身を盛り付ける向附の器にもよく使われます。

北大路魯山人が、この織部焼志野焼を特に好んでいました。
昭和30年に、織部焼重要無形文化財保持者(人間国宝)として、魯山人が指定されるも辞退しています。
茶人だけでなく、料理人もこよなく愛されて織部焼です。
その焼物の意匠や工夫が、この古田織部にあったと言えます。

とは言え、古田織部も武将です。
戦国を生き抜いた古田織部も、戦国の思惑の中で、切腹に追いやられました。
一言の言い訳もせずに、切腹したのは、やはり武人としての織部の姿だったのか、それとも師匠利休と同じ境地に達したのかは、不明です。

アニメの方では、天正19年(1591年)に秀吉によって、利休の追放が決まると、秀吉に遠慮して姿を現れない中、古田織部細川忠興だけが、堂々と利休の見送りを行ったという場面を、嫌々見送ってしまった場面となっています。
あまりにも、史実を無視した話の構成に、笑ってしまいます。

あれじゃ、本当に古田織部が、ひょうげた者に思えます。
そんな人物ではありません。
その礼状の文を、細川家家老松井家の資料として、私は茶道資料館で見ました。

利休の表現も、私の中では全く別人です。
それも、含めて漫画『へうげもの』(ひょうげもの)は面白いです。

静かに茶を喫した時間を過ごせました。
ありがたい時間でしたね。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁に感謝して暮らさせて貰っています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏にくらしたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、一歩下がった家僕の戯言に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。