''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

肥後松井家の名品 茶道資料館『武家と茶』を目と舌で味わう鑑賞と賞味より。

昨日に続いて、今度は茶道資料館『武家と茶』を鑑賞です。
こちらは、目だけでなく、舌でも堪能です。
招待券での入館です。

 

最初に、お茶の接待があります。
こちらへどうぞと、お茶のご接待です。
もちろん、茶道資料館ですから、お抹茶の接待です。

 

なんと私が、正客になりました。
同行カメラマンが、次客です。
茶の心得はありません。
椅子に座っての気楽なお抹茶です。

 

お茶を点てて居られるのは、物腰の柔らかな女性の方です。
多分、教授方とかされているその道のプロの御手前です。
流れるようにスムーズに、御手前が御見事です。
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焼き栗という菓子が出されました。
ちょっと崩れやすいので、素人には難しいです。
その辺は、気軽に食べられますようにと優しいお言葉です。

 

続いて、正客の私にお茶が出されました。
茶碗を持って一礼して、正面を外すように茶碗を数回廻しました。
仄かに甘みを感じました。
クリーミーと言うべき言葉が、いいのか分かりませんが、まろやかな味わいです。
何度かに飲み分けて、最後は軽く音を立てて啜る。

 

お茶碗を見ていると、お茶碗の説明がありました。
14代何某の焼かれた萩焼の茶碗とのことです。
薄く黄色い少し大ぶりの萩焼の茶碗です。
私の手にしっくり来ましたね。
この茶碗には、銘が付いていました。

 

「無事」だと聞きました。
「無事是貴人」の無事ですかと、私が尋ねるとそのようでした。

 

教授さんが、今年はいろいろな災害がありましたから、無事はありがたいことですね。
心にも舌にも届いたありがたい言葉でしたね。

 

次客同行カメラマンのお茶碗の説明です。
聞いて、「えっ?」てなりましたね。
茶碗だけに、「はてな?」方がいいですかね。

 

その小ぶりの茶碗は、細川護煕・元総理が作られた茶碗と聞いて、びっくりです。
陶芸をされていたのは、存知いましたが、それを見る事が出来るとは、光栄です。

 

肥後の松井家の主君に繋がって居ようとは思いもしない接待ですね。
一期一会の気持ちで頂きました。
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お茶の接待されて所の正面に、「冨貴是吉祥」と書かれたお軸がありました。
その前にあった花入れもいいですね。
このお軸、多分鵬雲斎玄室様の一行の書でしょうね。
よく好んで書かれると聞きます。

 

意味はと、私に如きの凡夫に分かろう筈もありません。
もし、解釈すると言うなら、こう考えます。

 

冨めるも、貴いも、これらはすべて天の定めた天命(仏命)です。

 

冨貴の方は、選ばれたと言っているのではありません。
現実の冨貴貧卑とは別世界です。
どんな状況にあっても、幸せを感じられるものです。

 

この一碗の茶には、それらを忘れさせる精神世界があります。
茶の前では、皆平等、そんな仏縁をこの茶が教えてくれる。
茶を喫したのは、ありがたい仏縁があったからです。
そんな方は、冨貴でしょうね。

 

これまた、吉祥は、吉兆とも言い換えられます。
天(仏縁)のお導きです。
ですから、冨貴と言うのは、是は吉祥です。
そんな意味だと感じました。

 

法華経には、この経を守護すれば、安楽行品14番に、功徳が書いてあります。
「貧窮・卑賎・醜陋(しゅうる)に生れじ。」
貧しくて生活に苦しみことや、身分や地位が低く、卑しく醜い姿には生まれないという意味です。

 

仏縁に通じています。
人間の本質は、「空」でもあり、「仏性」でもあり、「平等」でもあるとも言えます。
この世も、すべて仮の「空」です。
仏様の縁にすがって、見える世界です。

 

冨貴は、何も金銭や社会の身分のことだけではありません。
心の状態だと考えます。
先ほど書いた「無事是貴人」の貴人とは、無作無心の高貴な境涯を体得した、大解脱した人物とも言えます。

 

作為的な修行ではありません。
心の修行をされた方とも言えます。

 

吉祥は、吉祥天女とも読めます。
私のブログでも過去の記事にしています。
仏教を守護する大毘沙門天王さまの奥さんですね。
七面天女とも呼ばれ、日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神で、七面大明神(しちめんだいみょうじん)と呼ばれています。

 

また、鬼子母神を母とし、徳叉迦龍王を父とするとも言われる。
また、いつも一緒の妹に黒闇天がいる。
俗に言う貧乏神様です。

 

徳叉迦龍王の娘ですから、妙法華経にも出てくる齢8歳の仏の姿になったあの娘かも知れません。
この辺は定かではありません。
しかし、法華経を守護する一族です。
ありがたいです。

 

茶道資料館に来て、素人が茶道にあれやこれやと言うこと自体間違っています。
凡夫の戯言と、お許し下さい。

 

今回の展示は、肥後松井家の名宝です。

 

松井家は室町幕府から足利将軍家に仕え、戦国時代には松井康之(近世松井家初代)が細川藤孝(幽斎)に従って戦功を上げ、その後は細川家筆頭家老の要職を歴任した武門の名家です。江戸幕府が開かれた後の正保三年(1646)に八代に入城して以降は、明治三年(1870)まで代々八代城代として居城しました。(茶道資料館より 抜粋)

 

茶器や道具も多かったですが、やはり手紙ですね。
特に気に入ったのは、利休の礼の手紙です。
太閤秀吉公により、切腹の処断の為に、堺に送られます。
この時、古田織部公と細川忠興公は、密かにに舟を見送ります。

 

見つかれば、どんな罪科(つみとが)があるか分かりません。
それを承知で、見送りに行きます。
師匠に対する最後の別れです。
どんな気分で見守ったことでしょうね。
その礼を、細川の家老で弟子でもあった松井康之に当てます。

 

切腹の2週間ほど前のことです。
この手紙も、蟄居閉門の監視下では、至難の業です。
この手紙が途中で見つかれば、みな死罪です。
その覚悟の上に、手紙の意味があります。

 

利休居士の筆にも、その焦りが見えるように思えます。
すぐに書き記したものです。
今生の別れです。
切腹は、2月28日です。

 

どんな思いで、この文を見られたことでしょうね。
もちろん、太閤秀吉公には、筒抜けだったと思います。
忍びが配置してありますからね。

 

それでも、何の処罰もなかった。
何ゆえか、自分も利休の切腹を止めたかった。
立場が変われば、同じことをしたはずです。
一度詫びてくれれば、済んだはずです。

 

細川の殿様の言葉を記したものの中に、切腹の理由が「茶道四祖伝書」の中に書かれていたのを見た事があります。
秀吉の祐筆「木下祐桂」、この人物がきっかけだと言われています。
事務方ですから、石田三成とも通じています。

 

ここから、少し距離を取っていた太閤秀吉公と利休居士の関係を、一気に悪くしたとも考えられます。
弟の大納言秀長様が、生きておられれば、何とかなったはずです。
残念です。

 

ここから、豊臣も舵がおかしくなったとも言えますね。
頭の重石が取れたかもしれません。

 

それらの渦中にいた関係者の松井家の資料は、歴史的にも重要ですね。
歴史の瞬間に立ち会ったかのような感覚を覚えます。
ここでも、資料や展示に見入ってしまいました。
同行カメラマンも呆れ顔です。

 

招待券でこれだけ楽しめれば、満足です。
ありがとさんです。

 

2軒はしごの美術館巡りは、さすがに疲れました。
滅多にないチャンスです。
後は、細川家の至宝を見るだけですね。
楽しみです。

 

ありがたいことに、私は仏縁を頂いています。
ありがたいと感謝です。

 

日々の暮らしの中で、ささやかな「よかった」を探します。
自分の分に応じた幸せです。
花を見て、月を見て、旬を食らい、酒を呑む、時に茶を喫する。
至福の時間です。

 

心の三毒を廃し、心静かな安穏に暮らすのが、願いです。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事にであって欲しいです。

 

最後まで、無事これ変人の話に、お付き合い下さいまして、お礼申し上げます。