''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

ふぐの一夜干しの焼き物に、すだちを添えて食らう より。

秋の深まりを感じます。
朝晩の気温は、やはり秋の口です。
今日も、沈む夕日を見ました。

ここ数日、いい時間に金色に沈みかける夕日の光を背に受けます。
反射した姿は、まるで阿弥陀様の光背を思い出させます。
そんな極楽浄土には、程遠い世界に暮らしています。
それでも、夕日を背にピンスポットが当たるのは、気持ちがいいです。

朝晩の冷えと言えば、夜の晩酌タイムが楽しみになります。
先日、休日の日には、久しぶりに食事を伴う晩酌タイムとなりました。
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焼き物には、ふぐの一夜干しをグリルで焼いて、アロマっ子さんから頂いすだちを添えました。
すだちの果汁が、ふぐの一夜干しと合います。
醤油と酸味が、ふぐの味わいに拍車をかけます。

もちろん、最高の虎ふぐではありません。
毒のない白サバフグだと思います。
それでも、私には美味しいふぐに思えます。
虎ふぐさんとは、また「すし半 さと」か「がんこ」でお会いすること楽しみにしています。

ふぐの一夜干しなら、懐にも優しいです。
味は当然ながら白サバフグでは落ちますが、これはこれで美味しいです。
焼き物には適しています。

かの美食家・北大路魯山人をして、「日本の食品の中で、なにが一番美味であるかとあらば、私は言下に答えて、それはふぐであるまいかと言いたい」と、我が愛読書の『魯山人味道』(北大路魯山人 平野雅章編 中央文庫)の「海にふぐ山にわらび」の中に記されています。

すっぽんと比較して、味がある分、一段下と評価されています。
つまり、ふぐに味がないと言われています。
私的には、淡麗だと言う意味だと捉えてています。
菜根譚』の一節、「醲肥辛甘(じょうひひんかん)は真味にあらず。真味は只だこれ淡なり」を思い出します。

うーん深いです。
その味がないという味を、無作の作、無味の味と呼び、真味の味を模索されています。
「ふぐちり」、関西では「てっちり」も最高のポン酢を得て、その真味が私のような凡夫にも分かります。

でも、焼きふぐは、すだちだけをかけて食っても美味いし、少しだけ紫とすだちを垂らすのも、これは美味いです。
単純にだけに、あまり強い味を好みません。

強い味にしたいなら、それはふぐの唐揚げや焼きふぐなどは、どうでしょう。
もちろん、美味いです。
ふぐの皮も、これまたポン酢で頂くことが、これまた美味いです。

言わずと知れたてっちりの後の雑炊は、雑炊の王者だと思います。
これを追随するのは、すっぽん鍋の後の雑炊でしょう。
雑炊界の二大王者です。

ふぐの毒に当たって死ぬと言うことが、新聞記事になることがありますよね。
最近では、滅多にないですが、ある時はかならずふぐの調理資格の無い者が、調理した場合に限ります。
そんな中、愛読書の『魯山人味道』(北大路魯山人 平野雅章編 中央文庫)に、もう一つ「河豚は毒魚か」と言うタイトルの項目があります。

えって感じです。
この時の記事を書いたのは、昭和29年です。
戦後ですかよ。
江戸時代や明治時代ではありません。
昭和にあって、まだ毒がどうという事を論じていたことに驚きます。

今や関西では、庶民でも頂けます。
私が行くような低額の店でも、それなりに「虎ふぐ」が味わえます。
スーパーでも、毒を取り除いた部分がみがきふぐとして売られています。

ただ、これは都道府県によって近います。
最近になって、東京都でもみがきぐを、ふぐ調理師のいない店舗でも、提供できるようになったと聞きますね。
スーパーでは買えなかったものだと聞いて、びっくりです。

大阪なら、玉出スーパーなら、お手頃価格です。
休日の夕御飯に、家族で食べられる値段だと思います。
やはり、関西にふぐに対する感覚の違いに驚きます。
それだけ、身近な存在です。

ふぐをてつぽうと言い、俗に、「たま(偶)に当たる」とか、「たま(弾)に当たると死ぬ」とか言って、シャレで笑い飛ばします。

魯山人味道』(北大路魯山人 平野雅章編 中央文庫)の「河豚は毒魚か」中で、ふぐの評価を、画家や絵師に例えて、表現しています。
ふぐの味は、栖鳳や大観だと言うのです。

その後に、否定の例が続きます。
靫彦、古径でもなくから始まり、呉春や応挙、大雅、蕪村、光琳宗達か、と続きます。
行き着く先は、推古仏、法隆寺の壁画だと言っています。
凄い表現の世界を、魯山人の世界から見えます。

でも、私的には、安田靫彦の絵は、大好きですよ。
前田青邨と並ぶ歴史画の大家で、青邨とともに、焼損した法隆寺金堂壁画の模写にも携わった事でも知られます。
「飛鳥の春の額田王」、「卑弥呼」、「草薙の剣」など、古代を取り扱った他に例のない世界観を持つ巨匠です。

小倉遊亀の師匠でもあります。
小倉遊亀の菩薩をテーマにした作品も私の中では、大好きです。
もちろん、身近な日常をテーマにした作品も大好きです。
105歳の天寿を全うされた偉大な画家だったと思います。

現代社会にあって、高齢であることは、幸せとは限らなくなってきました。
老いの問題が、いろいろと複雑になっています。
ボケたくないです。
痴呆や病気とならず、人に迷惑をかけず、天寿を全うするのが、難しくなったように思えます。

その中でも、健康は気をつけたいです。
昨日は、週に一度の休肝日でした。
晩酌タイムがないのは、寂しいですが、健康の為にも、長く晩酌タイムを楽しむ為にも、少しの我慢はしないといけないです。
それも、私の道です。

今夜は、軽く晩酌タイムが出来ます。
ありがたいことだと感謝しています。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁だと、感謝して暮らさせて貰っています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますよう。

最後まで、ささやかな幸福に繋がる一皿の話に、にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。