''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

マグロの山かけ過ぎを食らう より。

朝、玄関開けたら、ちょうと寒かったです。
季節の変り目を、肌で感じました。
空気が変わったと、はっきり思った瞬間でした。

やはり、今夜の晩酌は燗酒にしたくなります。
昨日は、週に一度の休肝日でした。
いつもは、週明けの月曜日か火曜日にすることが多いのですが、スケジュールの都合で、前倒して土曜日にしました。

何とか、代用ビールで、エアーアルアルタイムも、楽しく過ごせています。
ありがたいことです
ある時、ない時のあの豚まんのCMみたいです。

とは言え、禅の達人の山岡鉄舟でさえ、貧困の中、やっぽり欲しいものは欲しいと詠んだ川柳を思い出します。
「銭あればあるにまかせて欲しくなる なければないでなお欲しくなる」
禅の達人の悟り臭くない人間らしい川柳かもしれません。

アルコール中毒ではないので、体が欲しないこともあります。
呑むときは、美味しく呑みたいです。
日本酒呑むなら、酒だけ呑む空酒はしません。
何か肴を用意しています。
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先日も、特売の生食用のまぐろのすき身を購入です。
もちろん、また好物のねぎま鍋を作りました。
豆腐にまぐろ、そしてねぎを一緒に入れた鍋です。
細切りにしたしょうがも、入れるのを忘れません。

その際に、いいところだけを、刺身にしています。
今回は、前回と違い、長いもをすりって、山かけにしました。
写真は、どう見ても、山かけが多すぎます。
ですから、マグロの山かけ過ぎです。

藍の単鶴紋の器に、真中にマグロをして周りに、すりおろした長いもを掛けました。
何やら、世界遺産になったばかりの富士山、それも赤富士をイメージしました。

赤富士(あかふじ)は、主に晩夏から初秋にかけて、早朝に富士山が朝日に染まって起こる現象で、青い富士山が朱色に染まることが語源のようです。
一般に縁起の良い出来事として知られ、夏の季語にもなっていると聞きます。(ウィキペディア参照)

私としては、奥村土牛の「赤富士」をイメージしたつもりです。
富士と言えば、奥村土牛画伯のイメージがつよいです。
奥村土牛と言えば、現代日本画壇の最高峰に位置した代表的な日本画家の一人で、101歳の長寿であったことも、印象深いですね。

晩年の姿を、NHKの特集番組で見た記憶が、まるで昨日のような気がします。
私の記憶によると、60歳を過ぎてから、世に名の知れる画家になったと記憶しています。
もちろん、地方(長野)の絵描きとしては、知られていたのかもしれません。
号である「土牛」は、出版社を営んでいた父が、寒山詩の一節「土牛石田を耕す」から引用してつけられたと聞きます。(ウィキペディア抜粋)

名前の如く、牛の歩みのようなゆっくりとした画家としての名声でした。
90歳を超えても、富士山に対する描きたい欲望は、ますます精力的に絵画に没頭して行ったようです。
一つの道を究めると言うのは、何やら禅の大悟された禅の達人を域を彷彿とさせます。
そんな道に出会えたことに感謝したい気分です。

私的に言えば、そんな道は、損な道かもしれません。
損得は関係ないですが、やはり、損な事より、得な事を効率的なやる方が、無難です。
そんな無難な道も、無理をしない道も、極端に歩む必要は、ありません。
私も、極端な道でなく、家から続く長安のなだらかな中道を歩みたいです。

苦を求めません。
楽も求めません。
今あることに感謝して、今生かさせ貰っていることに感謝出来る暮らしが、ありがたいです。

今夜も、半月が奇麗でした。
きっと、今夜の酒も美味いはずです。

日々の暮らしの中に、ささやかな幸せがあります。
ありがたい仏縁を得たと、感謝しております。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいです。
それを願うばかりです。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事でありますようにと念じます。

最後まで、的外れの山かけの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。