''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

あれから10日が過ぎて、これってラップ婚式くらいなぁ より。

早いモノで、あれから10日が過ぎました。
そうそうあのXディーからです。
これと言った喧嘩もなく、淡々と新しい生活にもなれつつあります。

ネットで調べると、結婚記念日の最短記念日は、1周年の「紙婚式」のようです。
これって微妙ですね。
破れやすいや燃えやすいと言うイメージの「紙」ですからね。
そんな意味じゃ、まだまだそれほどのモノではないけれど、10日じゃ薄っぺらい感じの「ラップ婚式」当たりが、適当の気がします。
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たかが10日なれど、されど10日ですからね。
ローマも1日にしてにらずの例えもあります。
あのローマ帝国でも、中国の秦でも、かならず10日目があったはずですからね。

中国の秦と言えば、アニメの「キングダム」の嬴(えい)政(せい)の事、後の始皇帝の話です。
それが、アニメの世界とつながると、意外に面白い話に発展しているのを、これを楽しんでいます。
信が、大将軍になったかどうかは、不明ですが、史実の中に、そうした名前が目えない所を見ると、創作的な話と言う事になるんでしょうね。
それとも、秦の武将の李信が、モデルなんでしょうかね。(作者の意図からすると、そのようになるのかもしれません)

ある意味、真田の十勇士と同じかも知れません。
それとも、『西遊記』の三蔵法師のお供の孫悟空などとも似ています。

そうした影の存在があって初めて、見える世界もあります。
歴史とは、そうしたモノです。
影と言えば、蔭でもあります。
お蔭さまと言う言葉の中に、見えない存在を感じます。

いつも見えない存在を感じています。
特に、観音様の存在は身近です。
朝方、雨音で目が覚めて、雨の中の出勤を覚悟して、いざスクーターで家を出ると、雨が降っておらず、仕事場に入った頃、また雨音がするなど、災難からも救って下さいます。

それは、偶然と言う方も多いです。
偶然かも知れません。
しかし、何度も何度も同じようなことがあれば、これは偶然でなく必然です。

法華経の観世音菩薩普門品第二十五、いわゆる「観音経」にある七難から救って下さいるというありがたい所です。
観音様の名を一心に唱えると、いろんな難から救って下さることがあります。
こればかりは、実際に体験すると、「あるかも」と思えるはずです。
仏のご縁のある方は、困った時、「南無観世音菩薩」と唱えることを思いつきますからね。

人の生きるこの世は、危険がいっぱいです。
それを感じる方、感じない方が居られます。
危険に近づかずないように、蔭でご縁を頂いています。
ありがたいと言わずに、感謝の言葉が出て来ません。

お蔭さまと言う言葉の中に、こうした見えないご縁があると信じています。
信じると言うか、あるんだと確信しています。
生きているのでなく、やはり、生かされていると感じることが多いです。
それが、幸せに感じます。
ありがたいです。

ありがたいと、有ることが難しいと言う意味でもあります。
幸せとは、そうした不安定な中にあるものなんです。
何気ない平凡な暮らしことが、本当は、あり得ないこと、つまり、あり難いことの連続なんでしょうね。
そう思うと、またありがたいです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、チェキラッチェのラップ違いの話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。