''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

半世紀ぶりの新商品「旭ぶっかけポンズ」を使ってみました。

2017年5月、あの旭ポンズでおなじみの旭食品から、なんとなんと半世紀ぶりに新商品が発売されましたと聞きました。
我が家でも、旭ポンズは使っています。

年末のてっちり(ふぐ鍋)には欠かせません。
かしわを使った鶏鍋も、やはり欠かせません。
豚しゃぶ、牛しゃぶにも、やはり欠かせません。
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その旭食品から、新商品「旭ぶっかけポンズ」が出たとなれば、買いですね。
先日来、白石温麺を使った鍋にも、これを使っています。
良く合います。

もちろん、特売の茹でうどんを買って来ても、鍋に入れて〆に食べるには、何とも言えず美味いです。
ポン酢の味が命です。
柑橘類の味と香りが、どうもいい感じです。
少し定番の旭ポン酢に比べて、少し薄い分、面にもよく合います。

こりゃ、我が家の定番になりそうです。
ぶっかけと言うと、何となく意味が分かりますが、本来料理の言葉では、「ぼっかける」と言葉があります。
ですから、「ぼっかけ」うどんや「ぼっかけ」そばと言うのが、正しい使い方です。

それを知らない方が、「ぼっかける」に近い「ぶっかける」と思い違いして、世に広まった感じがします。

そうした言葉の聞違いはよくあります。
「取り付く島もない」を「取り付く暇もない」だと思っている方も多いですね。
文字で学べば、分かりますが、耳学問なら、そうした違いに気付きません。
意味は、相手がつっけんどんで、話を進めるきっかけがみつからない。 「けんもほろろで-・取り付く島もない」や ② 頼れる所もなく、どうしようもないと言う意味のようですね。

それに、「爺むさい」(じじむさい)と言えば、それを知らない方が、「じじくさい」と表現されることがありますよ。
意味は、① 容姿や服装などが年寄りじみていて,むさくるしい。 ② 若さや活気がなく,年寄りくさいと言う意味ですね。

池波正太郎氏の小説でも、時々出てきますよね。
調べると、京ことばだと書かれているモノがありますが、日本中で使われている古い言葉だと思います。

今日のポン酢の話に関連すると言えば、料理の世界では、「幽庵焼」でしょう。
それを知らない方が、「柚庵焼」と思ったわけです。
「幽庵焼」は、味醂などを入れた幽庵地(漬けダレ)に、ゆずなどのかんきつ類を入れることがあります。
とりあえず、幽庵と言えば、香りの付いた焼魚の料理です。

もともと、北村幽安(きたむら ゆうあん、慶安元年(1648年) - 享保4年(1719年))とも、北村祐庵とも書かれることが多い江戸時代の茶人です。
この方は、鼻が効くんですよ。
ですから、香りと言えば、料理の茶会席的な茶人の銘々を使うことが多く、北村幽安になりますね。

名前も、北村幽安と北村祐庵が混同されて、北村幽庵と言うことになって、幽庵焼になったと聞きます。
何度間違ったと言うのでしょう。

北村幽安と言えば、俗称の「堅田の幽安」です。
琵琶湖の湖族の中心地の堅田で有名な茶人です。

その香りから、弟子が幽安の指定した場所で汲んだ水か、どうかが分かると言う絶対嗅覚の持ち主ですよ。
団子の串から、その竹の素性が分かると言う、ワンピース的に言えば、究極の見聞色の覇気の持ち主です。

堅田と言えば、もう一つ有名ではないけれど、一休さんが修行して、悟りを開いた場所だとも聞きます。
室町時代一休さん堅田の祥瑞寺(当初は祥瑞庵)は、一休さんが22歳(1415年)から34歳まで修行したお寺と聞きますよ。

師の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)の弟って、この堅田で修業されるわけです。
聞く所によると「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから、師の華叟より一休の号を授かったと言うから、人生の転機があった堅田の地です。

「有漏路(うろじ)」とは迷い(煩悩)の世界、「無漏路(むろじ)」とは悟り(仏)の世界を指すようですね。
私は、一休さんの「分け登る麓の道は多けれど同じ高嶺の月を見るかな」の方が好きですね。

私は、この時期の鍋には、やはり、いろんな鍋がありますが、ポン酢を使った鍋が好きですね。
1歳児ゆうゆうも、鍋は太塀好きです。
特に鍋の中でも、私の作った特製の肉団子と鮭と豆腐が、特に好きです。

鍋は、子供でも、野菜も摂れますから、健康管理にもなります。
ありがたいことです。
今夜も鍋ですよ。

日々感謝して暮らさせてもらっています。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮らしたいと念じています。
ありがとさんです。