''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

『コクリコ坂から』を手に入れて、鑑賞しました。

今日はすでに年が明けて、正月3日です。
朝から親子で梅田にお出かけでした。
嫁の入院中に出会った同志が、お店に出ていますので、そちらにご挨拶を行った次第です。

 

大阪に来て、まだ不慣れですが、梅田もさっぱりと不慣れです。
分かるのは、地下鉄東梅田の駅から、から阪神百貨店がどこにあるのか、無くなった「松葉」がどこにあったのかぐらいです。
地下鉄の御堂筋の梅田駅から、ヨドバシカメラに行くルートが分かるくらいです。
東梅田からだと、まだまだ少し迷います。

 

困ったら、阪急梅田を目指します。
その程度の知識では、まだまだ近寄りかたいですからね。
地下街は、少し難しいです。

 

正月も、家で過ごしていました。
親子3人の普段の暮らしに近い過ごし方です。
ささやかですが、それでも十二分に幸せですよ。

 

先日いつものよく行く激安シッョプで、いいいものをワンコイン(500円)でゲットしました。
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コクリコ坂から』(企画・脚本・宮崎 駿 監督・宮崎吾朗)を手に入れて、鑑賞しました。
何度かテレビでやっていたのですが、最初からすべてたわけでなく、一度見てみたいと思っていたからです。
ジブリ作品らしい爽やか系かと思っていましたが、ちょっと複雑な出生にかかわる問題も絡んで、ひやひやしましたが、朝鮮半島問題も影がさしていたと複雑な感情です。

 

そう言えば、昔懐かしいフジテレビの『ダウンタウンのごっつええ感じ』で放送されたコント、Mr. BATER(ミスター・ベーター)を思い出しまた。
魚屋でのコントですよね。
Mr. BATER(ミスター・ベーター)の『刺身の盛合せ』の注文に、無口な魚屋を演じる今田が持って来たのは、女性のカツラとバックの衣装です。
「としおさん」から始まる悲しい別れの寸劇の「寂しい巡り合せ」は、なかなか深い言葉の語呂合わせでしたね。
確かに、言うように、シルエットが違いますよね。

 

話は『コクリコ坂から』に戻って、ジブリらしい作品です。
私たちも子供時代は、宮崎駿の作品に触れた育って来ました。
テレビから映画に変わっても、普遍的なテーマのもとに、作品の存在感を出してくれます。
どうも、ジブリと言えば、子供さんが喜ぶような話ばかりではありません。
どの作品も、後ろにあるバックボーンのテーマは、複雑です。

 

それでも、最後には後味がいい作品が多いです。
この『コクリコ坂から』も、見終わった後の余韻は、いいですね。
もう一度最初からみたいと思わせる作品です。

 

でも、後ろにあるの大きな問題は、戦争であり、藁の上の養子であり、環境問題で、高度経済成長への警鐘であったり、東京オリンピックの問題であったりします。
特に、子供の出生の秘密は、複雑です。
子供は、親を選んで生まれて来れないです。

 

それ以上に、親子関係は、血縁と言うだけの問題ではありません。
血縁のない養子関係にも、親子関係は存在します。
実親と養親の問題は、人間として永遠の問題です。
幸せにして、私は、実親の元で育ちましたが、いろいろな問題から、親子で一緒に暮らすこともできない事情の家庭もあります。

 

そう思えば、我が子に対する愛おしさも一入ですが、最近は実親や養親から『虐待』と言う社会問題も日常的にニュースから聞こえて来ます。
50歳にして、晩いながら親になった私には、子供の虐待は信じられません。
子供も立派な人間ですから、嫌なこともありますし、機嫌の悪いこともあります。
私もよく怒る親ですが、蹴ったり殴ったりすることはありませんよ。

 

尊い命が、無意味に亡くなるのは、耐えがたいことです。
人として、許し難いです。
親として育てる気持ちがないから、里子や養子に出すという手もあります。
腹を痛めて運だ我が子の母でさえ、虐待するのは、考えられないです。

 

人として、親として、子として、考えさせられる問題は、永遠に続きます。
この記事を書いている炬燵の横で、娘が眠っています。
愛らしい寝顔です。
ささやかな平凡な時間が私には、掛け替えのない幸せな時間だと、感じています。
ありがたいです。