''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大丸饅頭 大丸梅田店 かりんとう饅頭を頂きました。

正月も4日辺りから、営業をされている会社も多いです。
昨日の5日は、大阪市内の道はどこも、大渋滞でした。
やはり、挨拶回りがその原因かもしれません。

京都から大阪に居を移して、早3年を超えました。
その間に、家族が、1人から2人に、2人が3人にと増えています。
しかし、仕事以外で、大阪にの中心地に行くことは、数えるくらいです。
先日の正月3日、親子三人で、梅田に行きました。
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そのた時、買い求めたモノの一つです。
大丸饅頭 大丸梅田店 かりんとう饅頭です。
饅頭の皮は、かりんとうのような油菓子の風合いと、中の上品な餡も、揚げ饅頭のような水分の少ない硬めの餡ながら、硬いわけではありません。
餡の上品な持ち味は、そのままです。

なかなかいい仕事です。
私は、播州の産にして、齢二十歳にして、郷里は離れましたが、味覚は今でも郷里を味を懐かしみます。
その中でも、かりんとうを含む油菓子は、無性に食べたくなります。
油菓子と言えば、かりんとうだけではありません。
平たい煎餅のようなものもあり、職人の技が光ります。

一見して、安い仕事と見られがちですが、味は格別です。
見た目も技巧の凝らした仕事が、華やかに見えます。

播州と言えば、江戸時代より、徳川譜代の大大名が統治した場所柄、茶道も盛んです。
茶道と言えば、菓子も有名です。
甘いものを好む播州の味の下地がここにあります。

それに、練り物が有名です。
播磨灘で捕れた新鮮な魚介類を、油で揚げた練りモノ文化とが、融合しています。

その代表格が、おでんですね。
播州では、おでんと言わずに、「関東煮(かんとうだき)」と呼びます。
最近は、地域の地元おでんとして、少し有名になりましたが、本来の関東煮とは、全く別物です。

播州関東煮と言えば、甘めの強い真黒な出汁に、練り物がふんだんに入ったモノです。
ですから、関東煮の出汁を呑むと言う習慣は少なく、くどくなった関東煮をさっぱり食べる手段として、小皿にショウガ醤油を用意して、これに関東煮を付けて頂きます。
このショウガ醤油によって、甘く脂っぽいくどいかった関東煮が、さっぱりと頂けます。
基本辛子は付けません。
好みで付ける方もいますけどね。

ショウガ醤油で、辛味も楽しめます。
播州では、蒲鉾などの練り物も、生で食しますから、その時にはショウガ醤油を添えます。
その流れで、関東煮も同じです。

ですから、ある意味播州関東煮は、駄菓子屋の一角で鉄板のあるような一杯呑み屋も兼務する大人の社交場のイメージもあります。
大抵の方は、関東煮は家で食べることが多いです。
でも、店のような長年継ぎ足し継ぎ足しして来た真黒に出汁にすることは、不可能です。
ただ、数日間食べることで、お店のように風合いを楽しむことが出来ますね。

私も学生時代の独り暮らしでは、大きな鍋に1週間分くらいの関東煮を作っていました。
大根も飴色となり、平天やごぼう天などの練り物が、何倍にも膨れては縮むを繰り返して、出汁と一体になるくらいです。
牛すじ肉もよく使いますが、鶏肉も使うことが多いですね。
それぞれに持ち味が違います。

関東のように、ロールキャベツなど洒落たネタは、もともとから播州関東煮には、ありません。
真黒な出汁の中では、そうした華やかな見た目は、ないですね。
基本、播州関東煮は、味本位です。

日本酒にも、ビールにも、ご飯にもあります。
特に、燗酒と関東煮は合うと思います。
甘いものとの日本酒が合わないと言われそうですが、そうではないと思います。

私は、正月の黒豆と日本酒はありと思う派です。
まさか、饅頭を食いながら、日本酒を呑むと言うキワモノの両党使いではありませんけどね。

甘い目の鰤の照り焼きも、日本酒には合うと思っている派です。
播州では、正月の祝いの膳に、鰤の照り焼きはよく出ます。

甘いだけなら、いろいろと考えはあると思いますが、醤油と日本酒と砂糖で煮た関東煮は、練り物の出汁を吸い取って、焼豆腐などとも相性がいいです。
それを、ショウガ醤油が、一転して、輪郭のある味に仕上げます。

昨日も晩酌に、じゃこ天を焼いて食べましたが、やはり、小皿には、ショウガ醤油です。
別皿に、マヨネーズと、一味唐辛子のあたり目を頂く味わいも、格別です。

今でも、播州の味を懐かしみます。
そんな私には、大丸饅頭 大丸梅田店 かりんとう饅頭は、なかなかの逸品でした。
もちろん、2歳児のゆうゆうも、ぱくぱくと頂きましたよ。
こりゃ、小さい時から、播州舌のDNAも上付けますよ。

ささやかな菓子の世界にも、郷里愛がありますよ。
ありがたいことです。
今あるのも、御先祖様のお蔭です。
その誰一人なくして、今の私は存在しません。
感謝です。