''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

坂本龍馬の花押ぜよ より。

朝から強い日差しが居間に差し込みます。
今日も暑くなりそうです。
でも、季節は前に前に進んでいます。
ゆうゆうの保育園でも、プール終いになっています。

先日の8月23日木曜日の毎日新聞の夕刊に気になる記事がありました。
幕末に活躍したとされる坂本龍馬の花押のある書簡を、「幕末維新の激動と福井」とする特別展が、福井県立歴史博物館で、9月22日~11月4日で開催されてるという記事です。
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1864年(元治元年)10月6日に坂本龍馬福井藩士の村田氏寿に宛てた書簡の最後に花押があります。
龍と馬の組み合わせて、花押ですね。
簡略でセンスのいい花押だと思います。

今までの書簡でも、意識して見た事がありません。
龍馬の書簡は、真偽の分からないものも含めると、130余通程が確認されていると聞きます。

その中でも、姉の乙女など家族や親しい者にあてた手紙が多いですから、そうした手紙には、花押は書きませんからね。
ただ、宮地佐一郎著『坂本龍馬写真集』のサイン?、花押?とは、違う気もします。

日本は、印鑑文化だと思われていますが、確かに国璽みたいな公な物に、印が使われる事も多いですが、基本は花押のサイン文化ですね。
戦国武将の花押もいろいろと有名な者があります。
この花押で、謀反の疑いから逃れられた有名な事件もあるくらいです。

現物は、福井に行って見てみたいものです。
なかなかその機会がありますね。
貧家には、時間もあれもないモノです。

未だに、坂本龍馬と言う人物の不思議な所が議論されています。
暗殺された経緯も、その金銭の流れも、いろいろと不明な事が多いです。
生きていたと言う興味深い諸説もあります。

それにしても、新政府綱領八策(しんせいふこうりょうはっさく)などの有名な書体とも、今回の書簡は少し違うような違和感を覚えるのも、事実です。
龍馬の手紙などの書簡は、多くの残っていると聞きますが、どれが本物でどれが偽物かす、学術的な研究もまだまだ進んでいない最中で、これぞという龍馬の書簡なら、いろいろと今後の研究結果が楽しみです。

そもそも、坂本龍馬と言う人物を当時の人は知る由もなかったと聞きます。
明治16年(1883年)、高知の『土陽新聞』に坂崎紫瀾氏が書いた『汗血千里の駒』が掲載されて、一躍その名が知られるようになったとも聞きます。

また「木戸孝允日記」により、その存在が知られることになり、昭和に入って、司馬遼太郎竜馬がゆく』(文藝春秋)などの創作のイメージ先行、金八先生坂本金八の流れが、現代若者の信仰的な龍馬の存在になっていると感じています。

若者が、大学受験に失敗したからと言って、龍馬の墓に参って、「どうしたらいいでしょう?」って、そんな曖昧な存在になっているのは、何だか可哀そうな気もします。
龍馬自体、既存の考えから、もっとも離れた所に居る方ですからね。

土佐藩脱藩と言うのが、会社を辞めた程度のことにしか考えていない現代の若者にとっては、命がけの戻れない選択肢であったことを知れば、そんな大学受験を失敗したかのどうでもいいことを、相談されても困るでしょうね。

また、龍馬の当時の知識や感覚からして、商売人ですから、新しい政府のあり方など政治的な要領をまとめた「新政府綱領八策」にも疑問があります。
坂本龍馬というネーミングが欲しかった思惑のある方の策略でしょうね。

推測の域から出ないままの、幕末維新の謎が深まるばかりです。
土佐脱藩浪士である以上、当時の正確な資料がないですから、分からない事ばかりですね。

でも、今回の特別展から、いろいろな派生した新しい資料も出て来るかもしれません。
それが楽しみです。

日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。