不勉強ゆえに、あまり聞き慣れない刀工だと、愛用の『刀剣価格辞典』(工芸出版)や『日本刀辞典』(得能一男著 工芸出版)を見返してみました。
本国は、奥州相馬、宇多中村の住人にして、初代大和守吉道の門人のようです。
本国は、奥州相馬、宇多中村の住人にして、初代大和守吉道の門人のようです。
長男は、上野守吉国、(上野大掾吉国)、本名 森下孫兵衛がいます。
刀工の受領銘でも、あまり見た事がないです。
そもそも、上野守と言った受領銘は、朝廷の官位にはないでしょう。
吉良と言えば、吉良上野介ですが、従四位上・左近衛権少将ですら、上野介(こうずけのすけ)です。
刀工の受領銘でも、あまり見た事がないです。
そもそも、上野守と言った受領銘は、朝廷の官位にはないでしょう。
吉良と言えば、吉良上野介ですが、従四位上・左近衛権少将ですら、上野介(こうずけのすけ)です。
これだけなら、スル―する所ですが、次男に陸奥守吉行、本名・平助 がいます。
幕末の歴史好きの方なら、陸奥守吉行と聞けば、阪本龍馬の愛刀を思い出される方も居るはずです。
龍馬が最後に使った「陸奥守吉行」は、京都国立博物館に現存するようです。
刀 銘 吉行 坂本龍馬所用 二尺二寸 京都国立博物館所蔵
龍馬が最後に使った「陸奥守吉行」は、京都国立博物館に現存するようです。
刀 銘 吉行 坂本龍馬所用 二尺二寸 京都国立博物館所蔵
確か龍馬を切った刀が、東山の霊山歴史館にありましたよね。
龍馬暗殺に使われた刀と言われているのが、桂家より寄贈の越後守包貞(偽名)とされています。
越後守包貞と言えば、二代目の後の坂倉言之進照包 の脇差を赤羽刀の展示で見た事があります。
龍馬暗殺に使われた刀と言われているのが、桂家より寄贈の越後守包貞(偽名)とされています。
越後守包貞と言えば、二代目の後の坂倉言之進照包 の脇差を赤羽刀の展示で見た事があります。
初代越後守包貞の子岩松が、幼少出会った為、越後守包貞を名乗り、成人した時に、包貞を譲り、照包を名乗っています。
意外と律儀者だったと思われます。
意外と律儀者だったと思われます。
坂本龍馬所用の「陸奥守吉行」は、郷士坂本家で所蔵していたモノと聞きます。
ただ、遺族が管理していたようですが、大正2年(1913年)12月26日に釧路の大火事で龍馬の遺品を焼失したと聞きます。
その後、「陸奥守吉行」も焼けてしまうが再刃され、京都国立博物館へ寄贈されたのが経緯のようです。
ただ、遺族が管理していたようですが、大正2年(1913年)12月26日に釧路の大火事で龍馬の遺品を焼失したと聞きます。
その後、「陸奥守吉行」も焼けてしまうが再刃され、京都国立博物館へ寄贈されたのが経緯のようです。
それにしては、手紙などは現在までよく残っていたと思われます。
幾つかに分けて、相続されていたのでしょうかね。
今回の展示は、脇指 銘 播磨守吉成 です。
業物の切れ味の良い、吉成の脇差ですが、月山貞一の槍、國行の太刀、和泉守兼定の刀の横に並べられると、他に見劣りしてしまいます。
新刀と古刀に分けるように展示でも良かったと思います。
ただ、写真撮影が許されていない 「太刀 銘 友成」「重要文化財 太刀 銘 則国」「重要文化財 太刀 銘 包永」「脇指 銘 長谷部國重」「重要美術品脇指 銘 (葵紋)以南蛮鉄於武州江戸越前康継 / 本多飛弾守成重所持内(立葵紋)」などと同じく展示されたのは、刀工として、名誉の事だと思いますね。
幾つかに分けて、相続されていたのでしょうかね。
今回の展示は、脇指 銘 播磨守吉成 です。
業物の切れ味の良い、吉成の脇差ですが、月山貞一の槍、國行の太刀、和泉守兼定の刀の横に並べられると、他に見劣りしてしまいます。
新刀と古刀に分けるように展示でも良かったと思います。
ただ、写真撮影が許されていない 「太刀 銘 友成」「重要文化財 太刀 銘 則国」「重要文化財 太刀 銘 包永」「脇指 銘 長谷部國重」「重要美術品脇指 銘 (葵紋)以南蛮鉄於武州江戸越前康継 / 本多飛弾守成重所持内(立葵紋)」などと同じく展示されたのは、刀工として、名誉の事だと思いますね。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、ちりとてちんの刀剣阿保の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。