''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

秀吉と長次郎の赤樂茶碗

長次郎という陶工をご存知でしょうか?
いや、芸術家と呼ぶべきでしょうか?
すばらしい作品が残っています。

茶の湯の大成者、千利休に供に樂茶碗を造り樂焼という焼物を創設した人物です。
長次郎の造る茶碗には、他のものと比べ物にならない独創性があります。作品には千利休の侘の思想が色濃く反映されています。同時に仏教観や禅の思想がその根底に流れているように思えます。安土桃山時代を代表する芸術家でいや、陶工です。

もともと長次郎は瓦職人であったようです。その技術が利休の目にとまったことから、利休に傾倒していきます。一説には明国からの渡来人、もしくは琉球人であるとも言われています。

長次郎自身、とうてい芸術家などと考えてはいないでしょうし、職人・陶工として精一杯求められるものに応えただけだと思います。最近まで陶工という職人の地位は極めて低い扱いでした。職人あっての芸術です。

長次郎作品の代表に「黒樂茶碗」があります。本物を見たときには、変った形の茶碗というか轆轤(ろくろ)でなく、均整の取れていない手で作ったという感じがします。ちょっと使いにくい感じもありますが、手で持つ、手で包むそういった感覚的な作品と言えます。市販の樂茶碗は、思うほど重くなくむしろ大きさの割りに軽い感じがします。長次郎の作品を手にすることは不可能ですが、大きな割に軽いのだろうと思っています。そうしないと茶を入れることも飲むことも難しくなるからです。

長次郎の作品のもう一つの代表作に「赤樂茶碗」があります。利休は黒の樂茶碗を好み、秀吉は華やかな赤樂茶碗を好んだようです。ですから、この時点で金の茶室に代表する派手好みの秀吉と侘び・寂びを求める利休とは考え方が大きく違っていたようですね。

でも、私は長い間思っていることが有ります。抹茶の「緑」に映える色はない色か?
黒もよく合います。でも補色の「赤」もよく映える色です。真逆の色ですが、黄金の茶室でも赤の茶碗に緑のお茶は映えます。むしろ茶の「緑」目立つのかもしれません。

両者の考え方は違ったにせよお茶に対する思いは両者にあったように思えて仕方ありません。大胆な意見ですが、「素人」ですから、お叱りは甘んじてお受けします。ご容赦下さい。もちろん、利休は偉人であり、利休の考え方を到底否定はするものではありません。

長次郎の茶碗を見ていると利休と二人して「こんなの作れるか」「こんなのが欲しい」と会話をしているのが聞こえるような気がするのはわたしだけでしょうか?

すばらしい先人の知恵が、今なお現在まで続いています。本物は時代を超えて感動を与えくれます。

京都には多くの博物館や美術館があります。公的なものでなく、財団や個人が運営する博物館や美術館があります。古(いにしえ)の美術品に心馳せてみませんか?

専門家の難しい解説でなく、見たまま何か感じればいいと思います。気になれば調べて、また見に行く。こんな楽しみもあります。雨に気がウサウサするとき、雨に気にすることなく半日過ごせますよ。

ささやかな楽しみに、ささやかな楽しみを見つけられたことに「感謝」です。

きょうもありがとさんです。