''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

菜根譚(さいこんたん)に見る処世術

私のブログでも紹介しことがある『菜根譚』(さいこんたん)に触れてみたいと思います。

17世紀中国明代の洪自誠著『菜根譚』(さいこんたん)は、中国の古典の一つで、前集222条、後集135条からなる随筆集です。主として前集は人との交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみ等について説いた書物である。(フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』参照)
本家の中国ではあまり重んじられず、かえって日本で多くの人に親しまれています。特に、経営者、政治家と上に立つ人に影響を与えているようです。

洪自誠著『菜根譚』(さいこんたん)は、古典でありながら現在でも多くの事が実践的に書かれています。どの項目をとっても、素直にうなづける人生訓が盛りだくさんです。

「世俗に近づいても染まらない」
ということを言っています。

勢利紛華(せいりふんか)は、近づかざるものを潔しと為し、これに近づけども染まらざる者を尤も潔しと為す。智械機巧(ちかいきこう)は、知らざる者を高しと為し、これを知れども用いざる者を尤も高しと為す。

簡単に言えば、権力や利益、紛争と華美に近づかない人は潔白な人で、近づいても染まらない人は最と潔白な人です。また、世俗の権謀術策(成功の策略を使う)というものを知らない人は高尚な人で、それを知っていても自分では用いない人は最も高尚な人であるということです。(中村璋八、石川力山著『菜根譚講談社学術文庫を参照)

日本では俗に「長いものに巻かれろ」と言います。波風を立てず、自己を主張せず、流れに身を任せるのも一つの処世術、つまり出世方法です。

菜根譚は、自分の生き方を見失いがちな人間に注意を促しています。
出世も必要です。出世だけがすべてではありません。出世する方法を知っていてもそれを用いるか否かはその人も資質です。何もなければそれは出世話かもしれませんが、やり方を間違えれば大変な結果になってしまいます。

今、教員委員会で不正が報道されています。
普通、校長先生といえば、成功者の上がりです。
地域からも社会からも一目おかれます。

でも、ふたを開ければ、法に反する犯罪者です。
金品で役職を買う。金品で不正を行わす。

教育とは別の方向にあります。教員の世界ではごく普通のことであると聞きます。先生の子供は出来不出来にかかわらず先生であることが大変多いです。政治かも多いですが、選挙と言う壁があります。でも、教員にはそれがないです。

公務員では、金品で役職を買う。これは昔からあることで今更まるで知らなかったかのような報道ですが、そこにも歪んだ社会があります。

教員に対する信頼が極端に失墜したスキャンダラスな事件に嫌気がさします。
私ですらそうなんですから、子供たちが感じる思いと不安は計り知れません。

子供たちの社会に対する見方が変ります。頑張って試験を受けて一番の成績でもコネや後ろ盾がない人は、成果を出せないことになります。やる気が失せてしまいます。

金品で先生になった方、恥を感じることなく、このまま先生を続けられていくんでしょうね。良心の呵責を感じることなく、「恥」と言う言葉をためらいもなく、子供に教えるんでしょうね。

関与した人間すべてが適正に処分されることを願います。
この場凌ぎのお茶を濁しても、やったかやっていないか真実はハッキリします。

天が下す最後の審判が、必ず待っています。逃れることは出来ません。
人として旨を張って生きて生きたいです。

その意味でも、洪自誠の『菜根譚』(さいこんたん)の「世俗に近づいても染まらない」は名言です。

人のふり見て我がふり直せです。大きな罪と良心の恥じることなく生きてこれたことに「感謝」です。自分にも甘い気持に負けず、天命に従い、心穏やかに生きて生きたいです。

嫌気がさすことが多い報道の中にあっても、偏った思い上がった正義感で論じましたことを反省します。

今日も最後まで読んで下さったことに感謝したいです。
ありがとさんです。