''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

大輪のバラの花が咲いています。

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昨日といい、今日といい、雨ですね。
流れて早き月日と続く、和歌を思い出します。

そう言えば、しずくのような釉薬が垂れたような流れをイメージする瀬戸肩衝茶入の中興名物「飛鳥川」も、このような梅雨の時期に命名されたのかもしれませんね。
遠州の和歌を、本題にする命名のセンスも、いいと思います。
さすがに、遠州の綺麗さびの本質を、垣間見る気分にさせてくれます。

綺麗といえば、仕事場にも綺麗なバラが咲いています。
意外と大きいです。
花も10輪ほど咲いています。
仕事場に不似合いな気分です。

悲しいかな、誰も見ていません。
写真を撮るのは私ぐらいですね。
ちょっと変わり者ですからね。

そういう意味では、菜根譚(さいこんたん)の「至人」には及びません。
「醲肥辛甘(じょうひひんかん)は真味にあらず。真味は只だこれ淡なり。神奇卓異は至人(しじん)にあらず。至人はただ是れ常なり」

菜根譚(さいこんたん)の一番好きな一節の一つです。
美味しい物を人と対比させた名言と思っています。
深い言葉です。

味の好みと人の生きる姿が似ているとはね。
さすがに美食家の北大路魯山人も、ここまでは言えませんよね。

甘かったり、脂濃かったりする味の濃い物が美味しいものではない、つまり、あっさりした淡なる味こそ、本当の美味しさであると言っているのでしょうね。

すると、頭の中には、「ふぐ」の味が思い出されます。
鯛や平目の白身の味でもありますね。
マグロのトロは、本当の旨みじゃないと言うことですね。
トロはトロで美味いです。

人も同じです。
奇人変人の類は、やはりすごい人間ではないということですね。
極普通の人の中にこそ、凄い人がいる、つまり「至人」なんでしょうね。

何か見返りを求めるのでなく、自分の探求を求める生き方に憧れます。
金銭や名誉、社会的地位を求める生き方も、悪くはないです。
しかし、自分の信じるところを求め、実践出来る真摯な生き方もいいですね。
生きる意味を問い返してみます。

昨日見たNHKの最終回「八日目の蝉」主人公の檀れいさんの生き方も、意味ある人生だったのでしょうかね。
複雑な人間模様を、社会と隔絶したモラル、犯罪と、極ありふれた暮らしの中にある幸福、それらをどう捕らえるか、問題定義されたような作品でしたね。

美人で綺麗というのは、徳かもしれません。
それが故に、静かに暮らしていた幸せな親子(義理)の人生を、一変させます。
新聞に載らなければ、このまま幸せな仮の暮らしを続けられたかもしれません。
言葉に表せない思いがあります。

檀れいさんには、適任のキャストだったと思います。
悲しいのは、岸谷五郎さんが、どうも秀吉に見えてしかたなかったです。
この辺は、私の誤算です。

バラも綺麗が、野に咲くたんぽぽも綺麗です。
それを見て綺麗というか、そうでないかは、人の判断です。
目線を下げて、見れば、どの花も綺麗です。
目線を下げた日々の暮らしの中に、幸福はあると感じています。

私は、ありがたい仏縁を頂いています。
感謝して暮らせるのは、至福です。
ありがたいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、バラバラの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。