週末の昼時、無性にそばが食べたなくって、禁断のカップ麺に手を付けた。
時折、無性にそばが食べたくなります。
乾麺の蕎麦はありますが、この暑い最中、コンロ口の前に立つのは、拷問です。
それなら、お湯を注いでと、手抜きのインスタントカップ麺のそばにしてみました。
やはり、手抜きの代名詞ですが、お湯入れて3分で食べられるのは、便利です。
その3分の間に、ラップを使って、おにぎりを作って、海苔を巻きます。
ちょうど食卓に置いたら、3分が過ぎています。
頂きます。
小海老天という文字に、触手が伸びますね。
蓋を開けて、どこに小海老天があるのやら、多分これがそうなんでしょう。
雰囲気ですからね。
天かすでも、出汁にコクが出来ますので、構いません。
おにぎりと一緒に頂けば、ちゃんとしたランチです。
炭水化物と炭水化物の組み合わせです。
関西人が好きな取り合せです。
関西のお店なら、炊き込みごはんとそばやうどんのセットでしょうね。
関西と言えば、うどんのイメージが強いかもしれませんが、そばも人気です。
私は、そば派です。
うどんも好きですが、カレーなら、カレーうどん食べます。
天ぷらなら、うどんよりそばを選びますね。
あまり、はっきりとした線引きはありませんが、そばの方が、私の口に合う事が多いです。
関西、特に大阪では、本来讃岐うどんのようなコシの強いうどんでなく、柔いうどんを好む傾向が昔はありました。
年長の方なら、柔いうどんを好まれる傾向が強いです。
スーパーで売られている茹で麺が主流で、これにヒガシマルのうどんの素をよく合います。
ですから、関西、特にうどんと言えば、土曜日の昼ご飯は、家でうどんを食べる事が多かったですね。
もちろん、小学校が土曜日が、半日あって、昼ごはんと言えば、吉本新喜劇が付いてくるような流れです。
あれが、家で作ったうどんです。
昭和50年代から、関西でも讃岐うどんを食べる機会があったと聞きますが、硬くて茹で加減が悪いという酷評があったと聞きます。
文化の違いです。
落語との「時うどん」も、柔いうどんが前提です。
屋台で、茹で麺を、お湯にくぐらして麺と器を温める。
そこに出汁を張って頂くです。
短気の大阪人にも、遭いますね。
麺を味わい、汁を味わいます。
出汁を褒めます。
落語「時うどん」の上では、昆布が上等、煮干しの雑魚は、昆布に劣ります。
私は、煮干し文化の播州人ですから、イリコの旨味を知っています。
もちろん、昆布の旨味も分かります。
基本は、好みの違いです。
ただ、いい昆布は高いです。
値段が高いから、出汁をとった昆布も、佃煮にして頂くわけです。
もちろん、大阪人の始末の文化です。
1番出汁、2番出汁、昆布の佃煮、捨てることなく、食べつくすのが、始末の文化です。
関西は、出汁文化圏です。
出汁の効いたモノが美味いモノだと思い込んでいます。
もちろん、いい出汁がとれれば、軟水の水と、薄口の醤油と、料理の仕上がりが綺麗です。
見た目の華やかな京料理に繋がります。
確かに、うどんにするなら、鰹と昆布の出汁が美味いです。
そばなら、少し違う所もありますからね。
馴染みの薄い煮干しの出汁では、うどんとの相性も、個人によって変わります。
落語の「時うどん」の中では、下の評価になっているんですね。
子供の頃の夏場の麺と言えば、播州人の私には、そうめんです。
実家では、イリコの煮干しの出汁で汁を作っていました。
市販の甘い味の汁とは、別物ですね。
子供の頃、伯父の家から、中元の木の大箱をお裾分けして貰って、家で食べていました。
伯父は、事業をしていたので、大きな木箱のそうめんの中元が多かったですね。
夏休みの毎日、昼ごはんには、そうめんです。
未だに、そうめんが好きでなく、どちらかと言えば、温かいにゅめんが好きです。
冷たいと言えば、ざるそばになります。
その辺りが、そばが好きになって来たと思います。
京都の居た時、休日の遅いランチ時、祇園のそばの名店「権兵衛」で、卓袱そばと、菊正宗の燗の酒を頂くのが至福でした。
恩師に連れられて、よくご馳走になりました。
その後、細い路地の中の喫茶店で、コーヒーを頂きながら、話をしていたのを昨日のように思い出します。
京都のそばにも、思い出が詰まっています。
懐かしいなぁ。
京都に行きたくなりますね。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。