11月に入って、夕飯時にも、温かいモノが食べたくなります。
6歳児ゆうゆうは、麺類が大好きです。
うどんも、そばも、ラーメンも、種類は限定しません。
岳父が、麺類が大好きでしたので、DNAを引きついているようです。
ですから、3人で小量の麺を、シェアーすることも多いです。
1つの麺の量にすると、他のおかずが食べられません。
特に、6歳児のゆうゆうは、そうなります。
刺身があって、揚げ物があって、トマトと胡瓜とは別盛のおかずサラダがあって、漬物盛があって、そうなると〆の白いご飯を差し引くと、お腹に入れる麺の量も決まって来ます。
この日もそばの量は、2人前を3人でシェアーしました。
私にとってもちょうどいい量です。
それでも多い時は、2人前を4つに分けて、1人分は、私の朝ごはんに回ります。
味噌汁代わりの汁物ですね。
この日は、牛肉とキノコが残っていましたので、急遽、小の肉そばになりました。
肉と言えば、肉うどんでしょうね。
でも、この日はそばでしてみました。
悪くはありません。
箸置きは、招きの猫です。
恵比寿顔です。
ギュウすれば鈍するって言いますうからね。
茄子がママなら、胡瓜はパパです。
無理もありますが、うどんが合うなら、そばもあうはずです。
肉カレーうどんもあれば、肉カレーそばもありますからね。
天には、ネギを持っています。
牛肉とネギが、相性がいいですよ。
ネギとそばは、相性がいいです。
それなら、牛肉とそばも、ネギを含めた三角関係から言っても、悪いはずではありません。
落語の世界でも、うどん圏の関西は「時うどん」です。
吉朝さんの噺が好きですね。
時代時代で、噺の仕上がりが変化してきます。
元々上方の「刻うどん」が、その後「時うどん」になって、これを3代目の小さんが「時そば」にアレンジたいと聞きます。
噺も少し違いがあるとすれば、時そばは、言わば模倣犯の愉快犯です。
その点、時うどんは、同じ模倣犯ながら、アホが賢になりたいとチャレンジする関西の成功への真似真似の典型バージョンです。
屋台のうどんを、安く食べられると、始めた事ながら、賢い方の清八(せいやん)の店主を褒めるセンスが面白いです。
真逆に、少し抜けた喜六(きーやん)が、ことごとくの段取り外れになるところが、更におもろい(滑稽)です。
成功の清八は、屋台も「當屋」で、うどんも汁も美味い。
出汁は、上等の昆布、それに比べてアホの喜六は方は、雑魚でしたね。
屋台の屋号も「はずれ屋」、うどんも出汁も外れで、最初から滑稽です。
関西のアホは、バカとは違います。
誰しもが笑える愛嬌があります。
憎めない所が必要です。
でも、飲食の世界では、アタリはご法度です。
ですから、屋号も意味深です。
うどんや出汁の味を味覚で褒めたりするのは、演者の腕の見せ所です。
落語には、食べ物の噺が多いです。
名人芸になると、寄席を出た後に、落語で出た食べ物屋に直行するのが、何より恩恵に預かれます。
そばやうどんなどの麺類は、安価ですから、ちょうどいい所です。
江戸時代でも、そばは、二八・一六文と相場が決まっていますからね。
深夜にコンビニはないし、力餅食堂はないとなれば、決まった時間にやって来る屋台のそば屋は、ありがたいはずです。
関西と言えば、うどんと位置付けられますが、そうではないんですね。
元々、関西もそばの方が人気でした。
あの江戸の有名な「砂場」も大阪にありました。
西区の公園の所に石碑があります。
いろいろな遍歴があって、うどんを入れた茶碗蒸しが、人気になって関西では、うどんが好きという流れになっています。
関西でもそば好きな方も多いです。
私も、うどんとそばなら、そばを頼むことが多いです。
うどんにするなら、肉うどんとカレーうどんは外せません。
家なら、ある方を作るだけです。
私個人なら、茹で時間の短いそばを食べます。
基本、短気なイラチですからね。
肉があったので、肉そばにしただけです。
それほどの深い意味はありません。
小さな椀の小そばは、好きですね。
食事が締まります。
ありがたい限りです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。