春ですね。
暑さ寒さも彼岸までと言います。
よく言ったものです。
嫁がお薄を点ててくれました。
どこぞ、景気のいい所で野点の茶と言うのは、風情がありますね。
学生時代の時に、山に登ると、山の中腹の景色のいい所で、中年の夫婦が野点の茶を一服されていました。
もちろん、登山の服装のままです。
いいお趣味だと思いましたね。
年老いてからも、夫婦で何か楽しみを見つけられるのは、至福です。
我が家もあやかりたいものです。
私も嫁の点てたお薄を頂きました。
嫁愛用の南天の茶碗です。
難を転じる様にと、ゲンのいい茶碗です。
横で、娘のゆうゆうが、自分も吞むと言って次の順番を待っています。
違う茶碗の用意がしてあります。
それじゃ、「引っ張りなぁ」と言えば、落語の「時うどん」でしょう。
吉朝さんの時うどんは面白いです。
年代ごとに、少し少し所作も変わります。
毎回、新鮮に感じます。
出汁を褒める。
麺を褒める。
箸を褒める。
屋台のうどんですから、褒める所もいろいろありますし、貶すところもいろいろあります。
当たり屋とはずれ屋、屋号の違いも滑稽ながら、うどんやの所作から、食べる男の話や食べる所作が、変わりますね。
師匠米朝さんの落語「世帯念仏」も、有名な門跡の僧侶、船場の主人、そして、長屋の主人、同じ南無阿弥陀仏でも、違いがあります。
信心の質も違います。
船場の老舗の大店の人が入りそうな仏壇で、一掴み数千円する香の焚き上げながらの「南無阿弥陀仏」は、米朝さんの言われるように、上から1万円札が降りそうな感じがしますね。
信心あっての、商いです。
朝は燈明あげて、神棚に手を合わす。
主人家族は、仏間で仏壇に手を合わします。
神仏のご加護あっての商いです。
我が家も、神棚と仏壇があります。
朝に、ロウソクに、ごはん、お茶を供えて、一日の始まりと家内安全を祈ります。
神仏のご加護は必要です。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。