昨日の節分されましたでしょうかね。
毎年、この時期になると、節分の豆の写真を撮って、記事としてアップするのが、毎年の恒例です。
鬼とは、人に見える様にした具現化した形です。
鬼門と言えば、まさに丑虎の方位です。
古都平安京では、鬼門に比叡山があるんですよね。
魔物が、鬼門から入って来なくする策です。
ですから、丑寅の方位から、鬼をイメージさせます。
丑の角と、虎柄の着衣ですね。
分かりやすいです。
それじゃ、どうして鬼に豆は巻くのか、それは豆とは、魔目に通じるので、鬼がやって来た時に、目つぶし攻撃です。
臭いものが苦手なので、鰯の頭と、柊のトゲトゲで、これまた攻撃です。
更に、鬼の金棒を、海苔巻きに見立てて、食べてしまえば、鬼も怖くない都ばかりで、海苔巻き組合の便乗商売で、鬼畜の根は、残ったままです。
そんな事が分かっていながら、関西人から始まった海苔巻き食べてしまいます。
海苔巻き作るのが忙しくて、切っている手間を省くためにも、金棒に見立てて、丸被りします。
私ぐらいになると、海苔巻きもハーフで十分です。
それに、恵方に向かって、何も言わずに食べると言う作法が加わったわけですね。
法華経を信心するモノにとっては、鬼と言えば、鬼子母神様です。
その十羅刹女と一緒に、法華経を守護してくれると尊い存在です。
ですから、法華経信者は、「福は内 鬼も内」 と掛け声けたいものです。
妙法華経の陀羅尼品第26でも、10人の鬼様の名が記されています。
会員No.1 藍婆(らんば)
会員No.2 毘藍婆(びらんば)
会員No.3 曲歯(こくし)
会員No.4 華歯(けし)
会員No.5 黒歯(こくし)
会員No.6 多髪(たほつ)
会員No.7 無厭足(むえんぞく)
会員No.8 持瓔珞(じようらく)
会員No.9 皐諦(こうたい)
会員No.10 奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうけ)
昭和のおニャン子クラブ風に言えばです。(♪ じゃあね じゃあね じゃあね~)
あくまで、簡単なご紹介までです。
我が家には、豆まきしたい娘が居ます。
「父、鬼になって」
緑黄色社会の「花になって」(作詞:長屋晴子,作曲:穴見真吾)なら、鬼は嫌なので、花になりたいですよ。
♪ 陰にそっと隠れようがいいんじゃない?(いいじゃない?)
蕾のような花だってあんじゃじゃない?(あんじゃない?)~
何やら意味深な歌詞の世界です。
邪悪な鬼は、きっと人の心の中に居るんでしょうね。
そんな鬼を住まわす気持ちもないけれど、世の中の嫌な事を見ると、知らず知らず内に、住まわせているのか知れませんね。
花はいいです。
私の好きな禅語の「逢花打花逢月打月」(はなにあえばはなをたし つきにあえばつきをたす)をイメージします。
打すと書いて、たすと呼ぶんですね。
心を打つ感動みたいな意味だと自分勝手に理解しています。
花は何も言いません。
いつも笑顔のような気がします。
花は、花らしく、季節が春になったら、花を咲かせます。
もちろん、四季の花がありますので、その時節の季節になったら、花を咲かせます。
そうそう四季の花と言えば、小柳ルミ子さんのヒット曲の『私の城下町』(作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃)で、サトウハチロウさんの引用を先日他界された上岡龍太郎さんが、鶴瓶以さんとやっていた深夜の『パペポ』で言って居られました記憶ですね。
♪家並とぎれたら お寺の鐘がきこえる 四季の草花が咲き乱れ わたしの城下町
「四季の花が咲き乱れる場所がどこにある? 春には春の 夏には夏の花が咲く」
「わたしの城下町って、殿様の城下町や」
確かにおっしゃる通りです。
上岡さんの講演会を聞きに行ったことがありますが、やはり、話のプロ、軽快で知的で感銘を受けた記憶があります。
芸とは、無駄の排除だと言っておられたのを思い出します。
日本に古きに亘って、存在する鬼の存在も、人の中に住んでいる以上、どんな時代になっても、鬼の存在は無くならないのでしょう。
もし私が鬼なるなら、法華経を守護するような鬼子父神になりたいところです。
そんな鬼を、娘が豆を投げつけようとします。
今年も楽しい家内安全を祈るばかりです。
ありがたいことです。
親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。
ありがたいことです。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。
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