''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

8歳児ゆうゆうの朝顔日記始まりました 6

朝の水遣りと夕刻の水遣りは、私の日課となりました。
年寄り臭いと言う莫れです。
まだまだそんな歳ではないと言えなくなってきました。


男性を形容した言葉に、「 爺むさい(じじむさい)」と言うのがよく使われます。
男性の服装・顔つき・態度などが、年寄りじみてみえる。
つまり、じじくさいと言う意味です。
よく、この、「 爺むさい(じじむさい)」を「しじくさい」と言うと思って居方も多いですが、、「 爺むさい(じじむさい)」なんですね。


こうしたヘンテコな言葉が、日本語の中にはあります。
言い間違いとか、聞きなれた言葉に勝手に変えてしまう事も多いです。
手足の痙攣や特にふくらはぎの足がつることを、こむら返りと言いますが、関西人、特に大阪人は、コブラ返りと言うんです。
何でも、コブラに噛まれたように痛いからって言われると、痛いと言う前に死んでしまうでしょうと思います。


大阪と言えば、「食の街」ですから、「くいだおれ」と言われますが、この「くいだおれ」は、「食い倒れ」の方でなく、「杭」の方の「杭倒れ」の意味なんですよね。
江戸の「八百八町」に対して、大坂は「八百八橋」と呼ばれる橋の多い町、つまり水路の街なんです。
もちろん、橋も幕府の公金を使わず、私財を投じての橋なんです。
ですから、いまでも、京阪電車の終点の淀屋橋は、淀屋さんが私財で作った橋と聞きます。


水路(堀)も私財を使って、維持します。
ですから、水路(堀)の維持管理に、莫大な金銭が必要になって、店が潰れることがあります。
ここから転じて、「杭倒れ」です。
食べ物とは関係がないんです。


昭和の話ですが、道頓堀は誰のモノかと、訴訟になったことがありましたね。
道頓とは、安井の道頓こと、成安道頓が私財を投じて作った水路(堀)が、道頓堀です。
ですから、筋から言えば、祖先が使った道頓堀も、子孫のモノだと言う事にもなりますが、この後に維持などには、違う金銭で維持しましたし、明治以降も成安家の維持管理ではありません。


道頓堀が訴訟になったと言えば、不思議な話です。
「お分かりかなぁ?」
そう先日他界された桂ざこば師匠の得意噺であった落語「天災」を思い出します
落語に出て来るのは、短気な男と心学者・紅羅坊名丸(べにらぼぉなまる)の人物の使う訳と言うか、本当に短気なざこば師匠と、真逆の心学者・紅羅坊名丸の対比が面白いですね。


75歳とは、まだまだこれからでしたので、残念です。
昔、朝丸さんの時に、生で落語を居たことがあります。
少し、テレビで観るような感じはしませんでしたね。
上方の噺家さんって感じで、落語の世界に引き込まれましたね。
テレビやラジオとは違って、落語のライブ感は凄いですね。


日本の放送作家高田文夫さんが、小学校の5年生の時に、初めて同級生に寄席に連れて行って貰って、最初に見たかった林家三平さんに出会って、落語のライブ感に鷲つかみされた話を聞いて、共感しましたね。
「ぼっちゃん、ぼっちゃん、ここ座って、今から月光仮面やりますから~」
でも、その昔松竹の角座だったか、ライブで漫才を見ましたが、あの時の落語のライブとは、別物でした。


林家三平さんを知らないと言う方も居られますが、そう今の正蔵師匠のお父さんです。
昭和の爆笑王とか言われていしまたが、私的には、漫談でなく、古典落語を見たかったですね。
上方落語という括りの中では、ざこば師匠は、特異な稀有な存在だったと思います。

 

米朝門下の中では、私は吉朝さんの落語が好きでしたね。
枝雀さんの落語も面白かったですが、落語の話でなく、枝雀さんといキャラクターが面白かったです。
それがテレビと時代と落語という時代にあったと言う感じがしましたね。


同様に、少し前なら、笑福亭 仁鶴師匠もそういう時代があったと感じます。
じっくりと落語に専念できる時代ではなかったですからね。
タレントとしての仁鶴さんばかりが、前面に出て、本当の落語家笑福亭仁鶴師匠の古典落語が聞きたかったですね。
その点、ざこば師匠は、タレントしても、落語が近くに合って、それが稀有な存在になったのだと思います。


少し似ていると思うのが、笑福亭松葉さんこと、七代目の笑福亭松鶴さんです。
タレントとして、司会者としてより、松葉さんの落語が好きでしたね。
CDもスマホに入れていますが、春になって、桜の時期になると「鼻ねじ(隣の桜)」、夏になると大川の「遊山船」、その時々の季節感を感じる落語が好きでしたね。
もう少し円熟味のある時代の落語も聞き方です。

やはり、夏に近づけば、朝顔です。
少し少し大きなっています。
成長が楽しみです。


ライブ感と言いながら、写真の方は少し遅れたのモノになりますが、少し写真を撮る場所は、今だけは同じ場所での撮影になって、その成長が見て貰えるようにしています。
ここからが、大変になりそうです。
成長すれば、ツルが伸びますからね。
ツルが流れんようにしたいです。


また、時代に流れてしまわんように、忘れてしまわんように、「七(ひち)に置いても流れんように」、追贈の七代目松鶴の落語を忘れんようにしたいです。
難波橋(なにわばし)に碇を沈めて置いていた来たいところです。
ありがたいことです。


親子3人のささやかな暮しに感謝して暮させて貰っています。               
ありがたいことです。             
             
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。               
ありがたいことです。               
               
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。               
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。               
ありがたいと感謝です。              
 
               
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