''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

本日、討ち入りあります。(エビスビール風に)

極月半ばの14日、吉良上野介の屋敷に、赤穂浪士が主君・浅野内匠頭の無念をはらさんと討入りです。
今から300年と少し前の話です。幾度と芝居に映画にドラマにと再演されています。
なにかに日本人の琴線に触れるものがあるのでしょうね。

 

映画、ドラマとお馴染みですが、大石内蔵助と言えば誰を想像されますか?
市川右太衛門片岡千恵蔵長谷川一夫萬屋錦之介、緒方拳、いやはや、高倉健江守徹か、中村勘三郎、最近では松平健というのもありです。

 

どの映画もそうそうとした配役にフルキャストです。
豪華な映画の代名詞それが赤穂浪士忠臣蔵です。

 

私的には、深作欣二監督の『赤穂城断絶』の萬屋錦之介が一番印象的です。
のほほんとした中村勘三郎も、はまり役であったと思います。

2分30秒ほどで話あらすじが分かる忠臣蔵の動画がありますよ。
プログの話を最後まで読んでからの方が面白いですよ。

 

14日とされていますが、討入りの準備に向かい、15日深夜から未明にかけて討入りです。

 

雪振る寒空の下、大石内蔵助を先頭に赤穂浪士47人が、吉良邸の正面正門に向かい、山鹿流の陣太鼓を打ち鳴らします。これを合図に一斉に吉良邸に攻撃です。

 

雪が深々と降っています。足元にも屋根瓦にも雪積もっています。静まり返った深夜に陣太鼓の音が鳴り渡ります。
♪・♪・♪・・・。
なんとも絵になる風景です。やっぱり時代劇ってステキです。

 

でも、これはウソです。どこが? すべてです。
雪は降っていませんし、積もってもいません。
陣太鼓も鳴らしません。

 

それに山鹿流と言いますが、内蔵助は、甲州流と言う流派です。
もちろん、山鹿流の人もいましたが、内蔵助は鳴らしていません。
そんなことしたら、襲撃が失敗します。当然です。

 

映画やドラマの設定では、その方が絵になりますからね。本当は寂しい感じです。

 

本当は、総大将・内蔵助(45)が表門から総指揮をとります。先祖伝来の家宝の軍配を手にしています。相撲の行司さんの持っているやつです。
その横に参謀・原惣右衛門(はらそうえもん)が配置します。

 

裏門部隊の大将は、内蔵助の嫡男・大石主税(ちから)(16)、その横には軍師・吉田忠左衛門(64)と参謀・小野寺十内(61)の二人が固めます。

 

裏門部隊は奇襲部隊です。
表門の襲撃の音を合図に裏門の特殊部隊が突入です。
剣豪級がうじゃうじゃです。
とても叶いません。
 
浪士は完全武装です。
兜頭巾(ヘルメット)鎖帷子(防弾チョッキ・防刃チョッキ)と全身切られないようにしてます。

 

一方、吉良方は寝ていました。寝巻きで応戦です。裾が開いて、まるで旅館の寝起きです。

 

明かりもありません。刀の位置も分からない有様です。
一方浪士は、明かりも持参です。掛けろうそく、がん灯(懐中電灯)と万全の準備です。

 

女や下男は逃がします。
当然です。
皆殺しにやって来た訳ではありません。

吉良上野介の首一つだけです。
女の着物を着て逃げようとする者もいます。
反撃しなければ手向かいしません。寝巻きのまま逃げます。

 

かかってくる豪のものも居ますが、完全武装となれば切っても切っても倒れません。
あっという間に沈静します。

 

すでに家の絵図面は入手していましたので、一気に上野介の寝室に行きます。
すでにそこには姿がなく、布団に手を入れるとまだ温かさが残っています。
さっきまでここに居たものと判断されます。

 

全員でしらみ潰しに屋敷を探しますが、見つかりません。
既に時間は4時を過ぎています。

 

上杉家の知らせに行った者もあるはずです。もう時間がありません。
総大将・内蔵助は、じっと沈黙を保っています。

 

そのとき発見の笛の根に、屋敷の炭小屋に集まります。
この中に小者と隠れているところ、浪士の前に引き出され、内蔵助が訊ねます。

 

「高貴なお姿に、吉良左近衛権少将様とお見受け致しまする」
この問いかけに、吉良のぷぃと無体な態度。
内蔵助は、そっとその前に短刀を取り出します。

 

「これなるは、亡君浅野内匠頭が今生の別れに使いし、お肉通しの短刀。さあ。さあ。さあ~」

 

全員で詰め寄ります。ただの爺です。
源氏の血筋なれど、和歌や茶道が好きで、刀など持ったこともない高貴な武士です。

 

これまたぷぃと無体な態度に、内蔵助が止めを刺します。雪の地面は真っ赤に染まり、男泣きする赤穂の浪士、グッと画面が引き締まります。

 

内蔵助が手を合わせて、満月の月に向かって、亡君の恨みを晴らしたことへの報告です。
音楽もなり最高調とクライマックスです。

 

残念これもウソです。
どの辺がと言うと、どうもいろいろな資料がありますが、このように会話して顔を確認することがなかったようです。

 

一説には炭蔵に音がするので声をかけて、光を当てると炭から武士が出てきた。まだ誰が居るとの声に、間十次郎が炭の中に槍を突き刺した。何かが当たった。これが当たりとなりました。

 

引きずり出すと目の下あたりに槍がささり、引きずり出して見ると白無垢の着物を着用している。既に息絶えており、即死状態であったと思われます。

 

これに笛を吹き全員がその老人額の疵を確認、さらに捕まえていた家来に詰問すると吉良に間違いない旨が判明した。誰も顔は知らなかったからです。

 

この功績により、間十次郎は一番やりの功績を末代まで名を馳せました。
ですから、映画のようなやり取りなく、最後まで訳の分からないことだったと思われます。

 

とりあえず本懐です。
これで終わりとはしません。
全員で屋敷を回り、火元の確認と簡単な片付けです。火事にならないようにと最終確認をします。その上で隣家に対してお詫びの口上に向かわせます。

 

最後全員の点呼を行っています。全員で6時ごろ吉良家を後にします。向かうは、亡君の眠る泉岳寺向かう手筈です。大目付(幕府)にも、仔細を申し出に使者を立てます。

 

その折、別に47人の一人・寺坂吉右衛門(38)を使者に選びます。
まずは、搖泉院(内匠頭の妻)に知らせにやります。
次に浅野本家のお預けの浅野大学(内匠頭の弟で、内匠頭の養子)に知らせにやります。
それに浪士の家族にも伝える役目です。

 

寺坂吉右衛門は、赤穂浪士の唯一足軽です。
足軽は武士の格好はしていますが、正式な武士ではありません。武士に準する小者です。ですが、この討入りにあたり、表組と裏門組の伝令の使者として活躍します。

 

ですから、いろんな物を見て一番この討入りの全員の活躍を知る人物です。そう諭して、この使者に付かせます。
確かに身分が軽かったので、もしかしたら逃げ切れる可能性のあったことは事実です。

 

内蔵助は、それも踏まえて、最後のつらい使者に寺坂吉右衛門を選びます。
そのため泉岳寺では赤穂浪士は、46人と記録されています。
言いにくいです。47人は語呂がよく言いやすいです。
いろいろな解釈がありますが、納得できる話です。

 

最後に、吉良上野介名君でした。
最後の最後まで、松の廊下で切りつけられて、家にまで討入りされ、殺されるのか、理解されずに黄泉に旅立たれたようです。これも機会があれば書かせてもらいます。

 

諸説あり、手前勝手な解釈下に書いています。
ご異論もあろうと思いますが、ご容赦下さい。

 

血なまぐさい話ですが、いろんなエッセンスが含まれて居ます。
人としての筋を通すことには犠牲も付きます。
それでも、あなたは筋を通しますか?

 

それを問いかける問題でした。
この問いかけに、考える時間を頂いたことに感謝したいです。
生きているのでなく、生かされています。

 

最後までながなかお付き合い下さいましてありがとさんです。お疲れ様でした。