''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

良寛の書

3月27日は「さくらの日」らしいですね。
三九27という九九からと、最初にお花見をしたという記録が3月26日から4月頃という二つの理由からだそうです。
耳からの知識です。すこしあやふやです。
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SAPIO』2009年4月8号(小学館)
清貧の思想 ふたたび
大不況に物慣れて「志」を喪失していないか
良寛西行、兼好、光悦らの生き方を学ぼう
とサブタイトルが入っている。

日頃好んでは読まない雑誌ですが、何となく生き方と言われると興味がわきます。
そんなすごい人がどう考え、どう過ごしたのかに興味があります。
私もブログを通して、いろいろな迷いの中でどう生きていくものか、壁に突き当たりますからね。

遠い目標を持って歩くのはうっすら分かって来たけれど、その手段とどうすればいいのか、分からないとばかりです。

時に小難しいことも書きます。
時に日々の事柄、食べ物や季節の花など取り止めのない話です。
それが生きると言うことでしょう。

日々生活していると、いろいろな不安や悩みが付きまといます。
清貧と言えば、聞こえはいいですが、世俗にあってはそうとも言えません。
でも、その生き方なり考え方は心強い生きる指針です。これは学びたいです。

良寛の書に書かれている言葉が胸に届きました。

我と筆硯と何の縁かある 一回書き了わってまた一回 知らずこの事 誰にか問わん 大雄調御人天の師 

解釈
「私と私が書いたことばにはどのような縁があるのか。一枚書いたら、また一枚、いつもの別の気持ちで書いている。私と私の言葉の同一性を求めないでほしい。その縁を知っているのはただひとりお釈迦さまだけである」

福聚寺所蔵の良寛の直筆の書(落款はない)P13
作家で臨済宗妙心寺派福聚寺住職 玄侑宗久氏の記事が乗っています。

この記事を読んでふと心の荷が軽くなった思いです。
こころが氷解した気持ちです。
こんなすごい方がこんなこと言われたなんて驚きでもあります。
また、良寛が愛される部分でもあるのですね。
ひとりの人間としての部分が残っています。

そうブログの記事の世界と私の人間とはきっと違うと思います。
生きることに感謝することを私なりのテーマにしています。
自分なりにそうしているつもりですが、100%有言実行は出来ません。
ですから、自分自身に忘れないよう自分自身に問いかけます。

ブログを日記スタイルにしている方は多いですね。
自分を見つめる場、本当の自分を見つけて、自分自身と自問自答する場にされているのではないかと感じます。
今日あった事、今日食べたもの、忘れてしまいそうなものを書き記す。
当然見返すこともあります。

ここ数日寒さが戻って、気持ちまで風が吹いているような気がします。
そんな折この雑誌に手が行きました。

今や平成不景気です。
いろいろと気に病んでおられる方もおいででしょう。
この雑誌の蕪村の所に面白い俳句が載っています。
美術史にも残る蕪村さえ常に困窮していたようです。

「 首くくる 縄切れもなし 年の暮れ 」
というのを玄関で詠んで、借金取りはあきれ果てさせたと書かれています。
こりゃ面白いと早速メモしました。

やっぱりブレないで、日々の生活を通じて、生かされいることに感謝の念は必要です。
ありがたいと真摯に受け止めることは大切だと感じます。

最後までお付き合い下さいましてありがとさんです。