こんだ薬師の湯のレストランにあった額です。
「ふるさとの 水をのみ 水を浴び」
なんとも心にしみます。
意味は単純ですが、そこにある句から見える世界観があります。
ふるさとを思う複雑な気持ちです。
水はどこにでもあっても、ふるさとの水は 一つです。
そこで憩い安らぎ、お湯を浸かる。
心穏やかな心持ですね。
ふるさとを思う複雑な気持ちです。
水はどこにでもあっても、ふるさとの水は 一つです。
そこで憩い安らぎ、お湯を浸かる。
心穏やかな心持ですね。
種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年12月3日 - 1940年10月11日)は明治・大正・昭和初期にかけての俳人でよく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝と改名。本名・種田正一。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』一部抜粋)
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』一部抜粋)
僧侶の姿で酒をくらい、世俗のまみれます。
酒癖の悪さがたたります。
その中で、自分を見つめ直す。
そこで俳句です。
酒癖の悪さがたたります。
その中で、自分を見つめ直す。
そこで俳句です。
定型の五七五ではありません。
それでも俳句です。
「 分け入つても分け入つても青い山 」
などが有名です。
それでも俳句です。
「 分け入つても分け入つても青い山 」
などが有名です。
形あるものを崩すのは、簡単のようで大変難しいです。
形を知っているから崩せるのであって、むちゃくちゃならに崩すのは、壊したままで句になりません。
形を知っているから崩せるのであって、むちゃくちゃならに崩すのは、壊したままで句になりません。
そこが難しいです。
私はいつも五七五の音感がいいです。
日本語にあった節回しが「五」と「七」です。
和歌も俳句のどちらも楽しいです。
私はいつも五七五の音感がいいです。
日本語にあった節回しが「五」と「七」です。
和歌も俳句のどちらも楽しいです。
多くの人に迷惑をかけたのでしょうね。
そう思うと、水を飲んだり風呂に入ったりの極普通の生活に、あこがれたのかも知れません。
そう思って読むとまた感慨深いです。
人生の苦しみの果てに出た言葉です。
そう思うと、水を飲んだり風呂に入ったりの極普通の生活に、あこがれたのかも知れません。
そう思って読むとまた感慨深いです。
人生の苦しみの果てに出た言葉です。
普通の生活がどれだけ、幸せなことか、そのときは気づきません。
ありがたいと感謝しないです。
今日無事に過ごせたことは、偶然ではありません。
必然です。
ありがたいと感謝しないです。
今日無事に過ごせたことは、偶然ではありません。
必然です。
今日一日どれほどの命の危険にさらせれて居たのか、分かりません。
道路では車が通ります。
いつもその被害に自分も家族もあうかも知れません。
道路では車が通ります。
いつもその被害に自分も家族もあうかも知れません。
幾多のドラマを抜けて、家族団らんの食卓があるのです。
これを必然と言わずして何も無いです。
これを必然と言わずして何も無いです。
偶然の偶然は必然です。
生きてはいません。生かされています。
必要とされるから生かされています。
生きてはいません。生かされています。
必要とされるから生かされています。
最後まで、変わり者仙人の酔狂にお付き合い下さいましてありがとさんです。