''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

山頭火の句に何思う。

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こんだ薬師の湯のレストランにあった額です。
「ふるさとの 水をのみ 水を浴び」
なんとも心にしみます。

 

意味は単純ですが、そこにある句から見える世界観があります。
ふるさとを思う複雑な気持ちです。
水はどこにでもあっても、ふるさとの水は 一つです。
そこで憩い安らぎ、お湯を浸かる。
心穏やかな心持ですね。

 

種田 山頭火(たねだ さんとうか、1882年12月3日 - 1940年10月11日)は明治・大正・昭和初期にかけての俳人でよく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。1925年に熊本市曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝と改名。本名・種田正一。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』一部抜粋)

 

山頭火は、山口県の大地主家の生まれです。
子供の頃、母の自殺。事業失敗。破産。離婚。父と兄弟の自殺。自らの自殺未遂と絵に描いたようなの転落です。そのとき、み仏のご縁で得度して僧侶となります。

 

種田山頭火は、故郷を捨てて、放浪します。
身なりは僧侶の姿です。
得度したものの、する行いは、僧侶ではありません。

 

僧侶の姿で酒をくらい、世俗のまみれます。
酒癖の悪さがたたります。
その中で、自分を見つめ直す。
そこで俳句です。

 

定型の五七五ではありません。
それでも俳句です。
「 分け入つても分け入つても青い山 」
などが有名です。

 

形あるものを崩すのは、簡単のようで大変難しいです。
形を知っているから崩せるのであって、むちゃくちゃならに崩すのは、壊したままで句になりません。

 

そこが難しいです。
私はいつも五七五の音感がいいです。
日本語にあった節回しが「五」と「七」です。
和歌も俳句のどちらも楽しいです。

 

ほぼ二日に一度、きりんのたまごのmomo家で、和歌の返歌に挑戦です。
下手くそな出来に、涙することもしばしばです。
練習と思い、書き記しています。
成長はありません。

 

山頭火は、松山の地を終焉に地にします。57歳と若い人生です。
濃いい人生だったと思います。
写真の句は、いつ頃の作品かは存じません。
でも、本当は生まれ故郷に帰りたかったと思います。

 

多くの人に迷惑をかけたのでしょうね。
そう思うと、水を飲んだり風呂に入ったりの極普通の生活に、あこがれたのかも知れません。
そう思って読むとまた感慨深いです。
人生の苦しみの果てに出た言葉です。

 

普通の生活がどれだけ、幸せなことか、そのときは気づきません。
ありがたいと感謝しないです。
今日無事に過ごせたことは、偶然ではありません。
必然です。

 

今日一日どれほどの命の危険にさらせれて居たのか、分かりません。
道路では車が通ります。
いつもその被害に自分も家族もあうかも知れません。

 

幾多のドラマを抜けて、家族団らんの食卓があるのです。
これを必然と言わずして何も無いです。

 

偶然の偶然は必然です。
生きてはいません。生かされています。
必要とされるから生かされています。

 

人それぞれ、その主は違っても同じです。
今日、家族でご飯を食べ、水を飲み、風呂を浴びたこと、今日を過ごせたことに感謝です。
そう思って、山頭火の句を読むとしみじみ感じます。
ありがたいです。

 

最後まで、変わり者仙人の酔狂にお付き合い下さいましてありがとさんです。