''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

俳句歳時記から見える日々の暮らし より。

最近、俳句が俄かに流行っていますよね。
毎日放送MBS)の『プレバト!!』は、その代表格でしょう。
辛口の夏井いつき先生の解説が、大変分かり易いですよね。

才能ありには、程遠いけれど、私もその手の風流は好きです。
そんな時、手許にあればありがたいのが、俳句歳時記ですね。

俳句と言うからには、5 7 5の17文字の中に、季語を入れるのが俳句の決まりです。
川柳とかは、素人ながら、ここが違うと思っています。

春には春の、夏には夏の、季節ごとの季語が入ると、より趣深い造形になります。
俳句と言えば、必ず「古池や蛙飛こむ水の音」を思いうかる事が多いと思いますね。
芭蕉が、俳諧や発句を俳句と言う方にした最初の意味ある俳句だと思います。

この句は、貞享3年(1686年)の春に芭蕉庵で催した蛙の発句会で詠まれたと聞きます。
この俳句に、何の変化があったのか、それは、芭蕉が、音を聞いて、蛙が井戸の水に飛び込んだのを見たいのでなく、きっと蛙が井戸に飛び込んだと言うのを想像した句なのですね。

写実でなく、ここに創作が加わったのが、意味が深いと言う事ではないかと思います。
つまり、俳句と言う言葉遊びを、芸術としての域に高めた俳句の象徴かもしれません。

もちろんも芭蕉が「俳句」という言葉は使っていません。
ただ、芭蕉が俳句の源流であるのは、確かでしょう。

俳句は、明治に入って短詩形文学の革新を唱えた正岡子規が名付けたモノだと聞いています。
俳諧と言う分野から、俳句と言う新しい文学を見い出したと言う事なるんでしょう。
イメージ 1

この合本俳句歳時記(角川書店編)には、季語だけでなく、多くの有名な俳句が掲載されています。
私の知っているモノもあれば、知らないモノも多くあります。
俳人の名前を聞いても、知っている方も居られれば、全く知らない方も居られます。

もっと言えば、これだけネット社会の中で、手身近に俳句を始めて、偶然作られた傑作も秀作もあるんでしよう。
俳句のブログも多いですね。

こうなると、日本にとどまることなく、世界に発信できる文学言う形になりますよ。
575の定型のモノから、不定型のモノも含めると、その言葉の世界観は、無限かもしれません。

俳句の季語から、逆に季節を見つめ直す事もできますよね。
花の名前を覚えたり、季節の言葉を覚えたり、いろいろ知らない事も増えます。
四季と言う季節を感じられる平和な日本に生まれたことに感謝です。
ありがたとさんです。

日々の暮らしの中、感謝して暮させてもらっています。
ありがたいです。
心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、催事に忙しい中年親父の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。