台所にあったカレンダーに目をやれば、 崇徳院の和歌になっています。
カレンダーは、『小倉 百人一首こよみ』と言うモノです。
日々の暮らしに、和歌や𠂢俳句があれば、心豊かに過せますね。
最近、俳句の番組が人気だと言います。
分かり易く解説して下さる「夏井いつき」先生の人気に寄る所も大きいです。
本名の「伊月」を俳号「いつき」とされているんですね。
子供さんから若い方にも人気になっています。
我が家の嫁も、俳句に夢中です。
そんな中、台所に、『小倉 百人一首こよみ』を置いてあって、ふと目が行きました。
瀬を早(はや)み岩にせかるる滝川(たきがは)の われても末(すゑ)に逢はむとぞ思ふ
大変有名な和歌です。
若旦那の急な病、どうも心の病と見て、大旦那は、若旦那と心安い熊五郎に、話を聞いた貰います。
すると、相手は20日ほど前に清水さま(上方では高津さん)にお参りに行った時、茶店で出会った水も滴るような綺麗な良家の娘さん。
別れ際に、「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の」と書いた手紙を渡してくれた。
下の句が「割れても末に逢はんとぞ思ふ」の崇徳院の和歌で、いずれ再会し夫婦になりたいという事らしい。
若旦那の恋煩いが、この病の原因と判明です。
続けて、大旦那は、熊五郎にその相手を見つけて来るように依頼します。
タダと言うのではありません。
成功すれば、今住んでいる長屋を一式頂けます。
熊さんが、大家さんに成れるんですよ。
これに、熊さんの女房が、ここ一番と応援すると言う事になります。
女房のアイディアで、町中でこの和歌を熊五郎が、至る所で大声で歌う訳です。
そうなると、あら不思議、お相手の娘さんが見つかると言う熊さんの一攫千金ものがたりです。
サゲは、相手と揉み合って鏡を割れて、「割れても末(=月末)に 買わんとぞ思う」でしたね。
♪ チャンリンチャンリン デンデン
私は、笑福亭仁鶴さんの滑稽な落語が好きですね。
見るなら、桂枝雀さんの大きな所作とフラがあっておもしろいです。
フラというのは、「芸人独特の何とも言えぬ可笑しさ」と言うんでしょうかね。
ちょっとデフォルメし過ぎている所が、桂枝雀さんらしいビジュアルな落語でしたからね。
落語の噺と、和歌と言うのも、他にもありますからね。
それだけ、当時の庶民が百人一首のような和歌を知っていたから、笑いに繋がったんです。
文化程度が高いのが、当時の江戸時代ですね。
当時、数学ブームや中国ブームと、いろいろと知的なブームがありました。
時代劇のように、庶民が文字が読めないと言うのは、間違いですね。
大抵の人は、文字を読むことが出来たみたいです。
都市部の識字率で言うなら、80パーセント位はあったんだと思います。
世界的に、驚く事です。
請求書を書いたり、手紙を読み書きしたり、貸し本を読んだりと、識字率が高くなくないと成立しない話が多いです。
寺子屋の普及がその原因だと思います。
読み書きそろばんは、子供の内に基礎をならって、大人になる訳です。
お店に奉公に出ても、職人になっても、文字や計算は必要です。
大都会の江戸は、当時世界最高の100万人都市ですからね。
それを思うと、日本と言うのは、特殊な国だと言う事が言えます。
和歌や俳句など、文字を使っての楽しみを見つけらせれるのは、世界の文学でも、稀だと感じます。
岳父も俳句や和歌が好きで、いろんな本も家には残されています。
少し、お借りして、私も読むことがあります。
折角の日本固有の文学なんですから、もっと多くの若い人にも、広まるといいと思います。
「才能あり」の上が、まだまだありますので、そちらも楽しみにしています。
ささやかな「よかった」を探せて暮させてもらっています。
ありがたいことです。
日々の暮らしの中、心の三毒を廃し、平穏無事に暮らしたいです。
神仏に手を合わせて、感謝して暮らさせてもらっています。
ありがたいと感謝です。