世の中も、まだまだ見捨てたものじゃありませんね。
それも、もちろんご縁ですからね。
それも、もちろんご縁ですからね。
そんなご縁を求めて、休日に散策することもあります。
歩いて行けるところもあれば、スクーターなら20分以内で行けるところもあります。
スクーター越しに、何かを見つけることは多いです。
歩いて行けるところもあれば、スクーターなら20分以内で行けるところもあります。
スクーター越しに、何かを見つけることは多いです。
先日もスクーターに乗っていて、急に思いついたように足が、そちらに向かいました。
場所は、伏見の安楽寿院です。(正式には安楽壽院のようです。略記の表記で記します)
安楽寿院は、京都市伏見区竹田に位置する。この付近一帯は平安時代末期、院政の舞台となった鳥羽離宮の跡地で存在して、安楽寿院は離宮内に営まれた仏堂の後身である。鳥羽離宮は、応徳3年(1086年)、時の白河天皇が退位後の居所として造営を始めたものであった。
場所は、伏見の安楽寿院です。(正式には安楽壽院のようです。略記の表記で記します)

安楽寿院は、京都市伏見区竹田に位置する。この付近一帯は平安時代末期、院政の舞台となった鳥羽離宮の跡地で存在して、安楽寿院は離宮内に営まれた仏堂の後身である。鳥羽離宮は、応徳3年(1086年)、時の白河天皇が退位後の居所として造営を始めたものであった。
最初に営まれた御所は、後に南殿と称され(現在の鳥羽離宮公園がその跡)、その後、北殿、泉殿、馬場殿、東殿、田中殿などが相次いで建設され、白河・鳥羽・後白河、3代の院政の舞台となった場所でもある。
北殿には勝光明院、東殿には安楽寿院が創建された。
北殿には勝光明院、東殿には安楽寿院が創建された。
建物は安楽寿院西側に現存し、鳥羽天皇安楽寿院陵として宮内庁の管理下にある。一方の新御塔は豊臣秀頼により慶長11年(1606年)多宝塔形式で再建されたものが寺の南側に現存し、近衛天皇安楽寿院南陵としてやはり宮内庁の管理下にある。天皇の陵墓に多宝塔を用いる稀有な例である。
北殿にはあった勝光明院と言うお寺は、宇治の平等院を模写したような州浜を配した立派な寺院のようでした。
今では、道路の下に埋まっています。
一号線の大きなバイク屋さんを西に曲がり、橋の登り口辺りです。
当時は、一体が大寺院を配したように壮大な鳥羽離宮です。
今では、道路の下に埋まっています。
一号線の大きなバイク屋さんを西に曲がり、橋の登り口辺りです。
当時は、一体が大寺院を配したように壮大な鳥羽離宮です。
うぶな大店の息子と娘の恋の話です。
今で言う「恋バナ」です。
両家とも、恋煩いで明日をも知れぬ命です。
今で言う「恋バナ」です。
両家とも、恋煩いで明日をも知れぬ命です。
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 別れても末に 逢はむとぞ思ふ」
もともと、鳥羽院が、崇徳天皇を退位させ、溺愛する近衛天皇に即位させたが、すべての始まりでした。
保元の乱で、平清盛の「平家の時代」、そして、源頼朝の「源氏の時代」、これらの武士の時代になって行くきっかけを作った時代になりますね。
保元の乱で、平清盛の「平家の時代」、そして、源頼朝の「源氏の時代」、これらの武士の時代になって行くきっかけを作った時代になりますね。
崇徳院を退位させてまでして、即位した近衛天皇が、若くして崩御された時(久寿2年(1155年)7月24日)の気持ちは如何ばかりでしたでしょうね。
その悲しみからか、鳥羽院も翌年保元元年7月一年待たずに、崩御されました。
その悲しみからか、鳥羽院も翌年保元元年7月一年待たずに、崩御されました。
先に逝かれた近衛天皇の気持ちは、庶民的に言うなら、「おやじ、涅槃で待つ」という気持ちでしょうね。
今は亡き俳優・沖雅也の最後の遺言を思い出します。
昭和の二枚目俳優でしたね。
時同じくして、映画『ある少女の告白・純潔』で銀幕デビューとは、落語の「崇徳院」さまとのご縁もありそうです。
今は亡き俳優・沖雅也の最後の遺言を思い出します。
昭和の二枚目俳優でしたね。
時同じくして、映画『ある少女の告白・純潔』で銀幕デビューとは、落語の「崇徳院」さまとのご縁もありそうです。
♪走り出したら 何か答えが出るだろなんて
♪どうせ一度の人生だ
♪運が悪けりゃ死ぬだけさ 死ぬだけ
♪どうせ一度の人生だ
♪運が悪けりゃ死ぬだけさ 死ぬだけ
作詞は、作詞:喜多條忠さんです。
これまた、昭和です。
これまた、昭和です。
昭和の日に、ぴったりな名曲ばかりです。
また、日本がバブル期前の、静かな時代でもありました。
いい昭和の日を過ごせたと思います。
また、日本がバブル期前の、静かな時代でもありました。
いい昭和の日を過ごせたと思います。
ありがたいことです。
日常の幸せこそ、極上の幸せです。
特別がないけど、それが特別なんです。
そんな日が「昭和の日」です。
日常の幸せこそ、極上の幸せです。
特別がないけど、それが特別なんです。
そんな日が「昭和の日」です。
私的なことながら、今日は私の恩師の命日でもあります。
デスク前に、お元気だった頃の写真を置いています。
この日が来れば、恩師を思い出します。
ありがたいご縁でもありました。
デスク前に、お元気だった頃の写真を置いています。
この日が来れば、恩師を思い出します。
ありがたいご縁でもありました。
今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。
最後まで、昭和の香り満載の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。