''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

安楽壽院の多宝塔に、平穏を願うより。

今日は、昭和の日ですね。
今日からゴールデンウィークも始まります。
私たちには、今日4月29日は、昭和天皇の誕生日という方が、しっくり来ます。
まだまだ、昭和の日には馴染めません。

 

全国に昭和と名の付く町があります。
被災した福島県にも、昭和町と言うのがありますね。
今日は、その全国の昭和町が、福島県昭和町を支援しているというニュースを見ました。

 

世の中も、まだまだ見捨てたものじゃありませんね。
それも、もちろんご縁ですからね。

 

そんなご縁を求めて、休日に散策することもあります。
歩いて行けるところもあれば、スクーターなら20分以内で行けるところもあります。
スクーター越しに、何かを見つけることは多いです。

 

先日もスクーターに乗っていて、急に思いついたように足が、そちらに向かいました。
場所は、伏見の安楽寿院です。(正式には安楽壽院のようです。略記の表記で記します)
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安楽寿院は、京都市伏見区竹田に位置する。この付近一帯は平安時代末期、院政の舞台となった鳥羽離宮の跡地で存在して、安楽寿院は離宮内に営まれた仏堂の後身である。鳥羽離宮は、応徳3年(1086年)、時の白河天皇が退位後の居所として造営を始めたものであった。

 

最初に営まれた御所は、後に南殿と称され(現在の鳥羽離宮公園がその跡)、その後、北殿、泉殿、馬場殿、東殿、田中殿などが相次いで建設され、白河・鳥羽・後白河、3代の院政の舞台となった場所でもある。
北殿には勝光明院、東殿には安楽寿院が創建された。

 

建物は安楽寿院西側に現存し、鳥羽天皇安楽寿院陵として宮内庁の管理下にある。一方の新御塔は豊臣秀頼により慶長11年(1606年)多宝塔形式で再建されたものが寺の南側に現存し、近衛天皇安楽寿院南陵としてやはり宮内庁の管理下にある。天皇の陵墓に多宝塔を用いる稀有な例である。

 

現在の安楽寿院は、6つ存在した子院のうちの前松院が寺籍を継いでいるものである。幕末には安楽寿院が鳥羽・伏見の戦いの本営となった。
(Wikipedia参照、一部抜粋)

 

北殿にはあった勝光明院と言うお寺は、宇治の平等院を模写したような州浜を配した立派な寺院のようでした。
今では、道路の下に埋まっています。
一号線の大きなバイク屋さんを西に曲がり、橋の登り口辺りです。
当時は、一体が大寺院を配したように壮大な鳥羽離宮です。

 

今では、当時の面影を見ることは出来ません。
それだけに、想像する楽しみがあります。
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立派な多宝塔です。
それもあまり知られていません。
そりゃ、天皇陵ですからね。
国宝にも指定されていません。

 

ご覧になられる方も少ないです。
解説のように、天皇陵で多宝塔は見たことがないです。
若くして崩御された近衛天皇の御霊を祀ってあります。
近衛天皇は、鳥羽天皇の第九皇子です。

 

鳥羽天皇(74代)、崇徳天皇(75代)、近衛天皇(76代)、後白河天皇(77代)と続きます。
すべて歴史に大きく名を残す方ばかりですね。
崇徳天皇、つまり崇徳院は、落語の『崇徳院様ですよね。

 

うぶな大店の息子と娘の恋の話です。
今で言う「恋バナ」です。
両家とも、恋煩いで明日をも知れぬ命です。

 

それで、その相手を探すというストーリーです。
アイ(ai)でなく、恋のストーリーですよ。(ここは、納得するところです。ねぇー、とおるちゃん!!)
百人一首崇徳院さまの和歌で、キーワードになります。

 

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の 別れても末に 逢はむとぞ思ふ」

 

和歌と違い、歴史は哀れなものです。
崇徳院は、父である鳥羽上皇崩御の後、保元元年7月に鳥羽上皇の弟、後白河天皇に従う者と、崇徳院に従う者に分かれます。

 

後白河天皇の夜襲に遭い、3時間で崇徳院の敗北・終結です。
これが「保元の乱」と言われています。
仁和寺に幽閉された後、讃岐に流されます。

 

もともと、鳥羽院が、崇徳天皇を退位させ、溺愛する近衛天皇に即位させたが、すべての始まりでした。
保元の乱で、平清盛の「平家の時代」、そして、源頼朝の「源氏の時代」、これらの武士の時代になって行くきっかけを作った時代になりますね。

 

崇徳院を退位させてまでして、即位した近衛天皇が、若くして崩御された時(久寿2年(1155年)7月24日)の気持ちは如何ばかりでしたでしょうね。
その悲しみからか、鳥羽院も翌年保元元年7月一年待たずに、崩御されました。

 

先に逝かれた近衛天皇の気持ちは、庶民的に言うなら、「おやじ、涅槃で待つ」という気持ちでしょうね。
今は亡き俳優・沖雅也の最後の遺言を思い出します。
昭和の二枚目俳優でしたね。
時同じくして、映画『ある少女の告白・純潔』で銀幕デビューとは、落語の「崇徳院」さまとのご縁もありそうです。

 

♪走り出したら 何か答えが出るだろなんて 
♪どうせ一度の人生だ
♪運が悪けりゃ死ぬだけさ 死ぬだけ

 

テレビドラマ『俺たちは天使だ!』の主題歌、『男達のメロディー』でしたね。
ザ!鉄腕!DASH!!』のコーナー「ソーラーカー 一筆書きで日本一周」にも使用されています。

 

作詞は、作詞:喜多條忠さんです。
これまた、昭和です。

 

かぐや姫の『神田川』、『赤ちょうちん』、『妹』もこの方の作詞です。
先ほど亡くなられたスーちゃんのキャンディーズの『暑中お見舞い申し上げます』
もこの方の作詞だったです。

 

昭和の日に、ぴったりな名曲ばかりです。
また、日本がバブル期前の、静かな時代でもありました。
いい昭和の日を過ごせたと思います。

 

ありがたいことです。
日常の幸せこそ、極上の幸せです。
特別がないけど、それが特別なんです。
そんな日が「昭和の日」です。

 

私的なことながら、今日は私の恩師の命日でもあります。
デスク前に、お元気だった頃の写真を置いています。
この日が来れば、恩師を思い出します。
ありがたいご縁でもありました。

 

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

 

最後まで、昭和の香り満載の話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。