''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

アズローコンパクト 青と緑のはざ「間」より

アズローコンパクトという名前をご存知ですか?
私は初めて聞いた名前です。
花の名前です。
イメージ 1

よくいくコーナンの花のコーナーで見かけます。
苺の種であったり、苗木であったりと、想像して楽しめるものもあれば、今が旬のきれいに咲いている花であったりと楽しい時間です。

 

すぐに仕事場に戻らないといけませんね。
必要なものをよくコーナンに買い求めにやって来ます。

 

京都伏見にはこうした大型店が多いです。
大きい電気屋も乱立しています。
敷地の確保に適した店舗運営に適しているようですね。

 

知らない花の名前に、メモ代わりに携帯電話のカメラで、日常を捉えます。
「アズローコンパクト」って車の名前のようなネーミングです。
ブルーの花に、なんだか心とられますね。

 

♪ようこそここへ クッククック 私の青い鳥~

 

桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」(阿久悠(作詞)中村泰士(作曲))昭和の名曲です。
ここにも青いが入ります。
「青」は、なかなか現実世界では見かけにくい色です。
そのため西洋でも「青」には憧れが強いです。

 

特に食器、コバルトブルーの食器は憧れのものです。
ロイヤルコペンハーゲン」のお皿なんて「青」の象徴です。
「青」は富の象徴ですね。海の象徴でもあります。

 

焼物では、この「青」の色合いがなかなか表現できない。難しいです。
日本でも、染付のお皿もありますが、それらも色合いが難しい上に、細かい筆遣いを求められます。
「いい仕事してますね」の声も出ます。

 

総じて日本人は「青」もそうですが、それ以上に「緑」に憧れを持ちますね。
平安時代のより平安京の都の特に主たる建物や門には「緑釉」の瓦が使われていました。
特別なものです。

 

緑の瓦と朱塗り、間逆の補色の採り合せです。
なんとも幻想です。白と黒のとりなす都の中で、特に目立ちます。
今でも平安神宮なんかは、その面持ちを残しています。

 

日本人はその緑を愛する民族です。
焼物にも、織部や伊賀は「緑」の器です。

 

かの北大路魯山人もこの「緑」の器の製作に心血を注ぎました。
陶芸家としての一面もありますが、私は料理人として気持ちもあると思います。
緑のお皿に、和の食材が良く似合います。(この皿に盛ってみたいとね)

 

造り、焼物、煮物、香の物、水菓子と何にでも適用できます。
伊賀の造り鉢に、大根のけんの白さ、鯛の白いほのかなあめ色、山葵の一段明るい緑、ヒュルヒュル人参の宙返りの朱一点と、一皿にアーミューメントパークのような世界が表現出来ます。

 

また、水菓子では、柿の朱色と伊賀の緑の取り合わせは、何とも幻想的です。
織部焼の手籠に、香の物三種盛り、いいですよね。
壬生菜の漬物、日野菜の漬物、刻み柴漬けの杉盛、最後のご飯が進みます。

 

「緑」の器は、世界的にも珍しいです。
しかし、日本は島国で緑も多い農耕の国でもあります。
一昔前は、「緑」のことを「青」とも呼びました。

 

料理でも、緑色の添え物を「青み」と呼びます。
完全に混在です。
しかし、昔の青は今のようなコバルトブルーでなく、青緑のような色合いでした。
一昔前は、信号も緑なのに青と呼んでいましたよ。(年が判りますね)

 

料理の盛り付けは大変難しいです。
お皿の図柄も活かさないとイケません。
食材と空間、つまり「間」です。
なみなみ盛っては、げんなりします。

 

「間」は、すべてに通じます。
「間」は、あって当然、なくては困ります。
人の会話にも、お笑いにも、絵画や作品にも言えます。

 

世情は騒がしてですが、こころ静かに「間」を置くのも必要です。
冷静さを持てるにも「間」が必要ですし、対策にも「間」が必要です。
何かあれば、間髪要れず行動する。いつでも準備は必要です。

 

人の生き方にも言えそうです。
突然何かが起こる。いつもそうです。メールや電話のお知らせはありません。
あわてない心を整える「間」が自分なりに必要です。

 

そこには一振り考える時間をもらえたと「感謝」の一手間という「間」入れて下さい。
どんなときにもラッキーはあります。

 

そのラッキーチャンスの一瞬の「間」に勝機が開けます。
「ありがとさん」と思える気持ちの中にゆとりの「間」があるように思うます。

 

みなさんにとって、より良い勝機の「間」が見つけられますようにお祈りします。
私の「間」はなかなか見つかりません。間が抜けた話です。

 

最後まで長々とお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。