今日も、寒い京都です。
天気も日差しもありましたが、寒いですね。
風が冷たいというのでしょうか?
天気も日差しもありましたが、寒いですね。
風が冷たいというのでしょうか?
暖冬とは言いながら、やはり冬は寒いものです。
寒い時、温かい物は、大変なご馳走です。
冷え切った体に、口が切れると表現することもあります。
寒い時、温かい物は、大変なご馳走です。
冷え切った体に、口が切れると表現することもあります。
客に対する気持ちで、粗茶と言います。
それでも、寒い時にはどんなお茶でも温かければ、ご馳走です。
深夜の労働をなして、帰宅して、それに対して「ご苦労様」の温かい言葉も、ありがたいですね。
それでも、寒い時にはどんなお茶でも温かければ、ご馳走です。

深夜の労働をなして、帰宅して、それに対して「ご苦労様」の温かい言葉も、ありがたいですね。
しかし、逆もあります。
寒空を仕事をなして、その身内とも思っている家から、温かいお茶も温かい労い言葉をなく、一人の人として扱われなかったと思うと、他人ごとながら、いたたまれません。
寒空を仕事をなして、その身内とも思っている家から、温かいお茶も温かい労い言葉をなく、一人の人として扱われなかったと思うと、他人ごとながら、いたたまれません。
今月のサブタイトルは「赤穂浪士」です。
これだけ寒いと、「サブーい タイトル」です。
これだけ寒いと、「サブーい タイトル」です。
旧赤穂浅野家の家臣として、討ち入りを成功して、内匠頭の墓参を済ませた後、大石内蔵助の密命を受けた者がいます。
江戸時代も中期には、戦がありませんから、槍を持って戦に行くことはありません。
しかし、大名家にはいろいろや役目の下役人がいます。
時代劇では、白いたすきを頭の着物に掛けて棒を持っている下役人です。
偉そうなことを、庶民に向かって言います。
しかし、大名家にはいろいろや役目の下役人がいます。
時代劇では、白いたすきを頭の着物に掛けて棒を持っている下役人です。
偉そうなことを、庶民に向かって言います。
この身分では、参加する必要はありません。
1000石の重臣で参加していない者もいますからね。
いつもはあれだけ、身分が高いと偉そうなことを言っても、討ち入りと言うと、「無理」と最後まで付いて来ません。
1000石の重臣で参加していない者もいますからね。
いつもはあれだけ、身分が高いと偉そうなことを言っても、討ち入りと言うと、「無理」と最後まで付いて来ません。
起請文を提出して、神に誓ったのに、内蔵助の「神文返し(しんもんかえし)」になると、ほっとして、納得する。
あれだけ、主君のあだ討ちしょうねっ指きりしたのにも、かかわらず、一抜けたと退散です。
あれだけ、主君のあだ討ちしょうねっ指きりしたのにも、かかわらず、一抜けたと退散です。
きっと内蔵助も、身分低い足軽の寺坂にも、そこまでの必要なないと諭したはずです。
「吉右衛門、ようここまで、忠義を尽くしてくれた。十分の忠義。殿もお喜びのはず」
「それはどういう意味でごさいましょうや?」
「吉右衛門、ようここまで、忠義を尽くしてくれた。十分の忠義。殿もお喜びのはず」
「それはどういう意味でごさいましょうや?」
「これから討ち入るは、ご政道に背く大罪。命ばかりか、血縁一族に類の及ぶは必定。義理立ちして、このまま討ち入るにあらず、無用じゃ。今日までよう忠義を尽くしてくれた。
殿に成り代わって、内蔵助、礼を申す」
殿に成り代わって、内蔵助、礼を申す」
「ご家老、嘆かわしい」
「待て、吉右衛門。これは否ことを」
「そうではありませぬか。身分軽き身なれど、忠義の気持ちに重きも軽きもございません」
「そうではありませぬか。身分軽き身なれど、忠義の気持ちに重きも軽きもございません」
「う・・・む」
「ここまで、ご一緒にして来て。お主は身分軽き足軽なれば、討ち入りの名に傷が付くとおおされるか?」
「ここまで、ご一緒にして来て。お主は身分軽き足軽なれば、討ち入りの名に傷が付くとおおされるか?」
「左様では・・・」
「天に誓い、神に誓い、主君の無念を晴らすが武士の道、最後まで身分の隔てをされるとは、この吉右衛門、嘆かずにおれましょうや」
「天に誓い、神に誓い、主君の無念を晴らすが武士の道、最後まで身分の隔てをされるとは、この吉右衛門、嘆かずにおれましょうや」
男泣きする吉右衛門の姿があった。
「泣くな。泣くな」
「・・・・・」
「・・・・・」
「吉右衛門、そなたは赤穂の浅野家臣じゃ。誠の家臣であればこそ、ここまで就いて来てくれた。儂が浅はかであった。なれば最後の最後まで、死ぬるまで、赤穂の家臣であるな。今一度、神に誓って、問う」
「神に誓こうて、二言はありません。死ぬまでご家老様のご指示に従います」
「それでこそ、浅野の武士じゃ。最後の最後まで、この内蔵助の命(めい)は殿の命じゃ」
「それでこそ、浅野の武士じゃ。最後の最後まで、この内蔵助の命(めい)は殿の命じゃ」
「ははぁ」
「それでこそ、武士じゃ。浅野の武士じゃ。武士に二言はないぞ」
「それでこそ、武士じゃ。浅野の武士じゃ。武士に二言はないぞ」
こんな会話があったかは不明です。
でもあったはずです。(この会話、後で関係します)
上に立つ者、細かい気遣いは必要です。
でもあったはずです。(この会話、後で関係します)
上に立つ者、細かい気遣いは必要です。
ですから、寺坂吉右衛門は、武士です。
身分は違えど、主君に仕えた気持ちは同じです。
最後の最後まで、足軽風情と侮られることはないはずです。
士分でもないにもかかわらず、忠義を示してのですからね。
『四十七人目の浪士』池宮彰一郎著 新春文庫から出ている本は、この寺坂吉右衛門信行が主人公にして、書かれた討ち入り後の所から始まる小説です。
斬新ですが、面白いです。
身分は違えど、主君に仕えた気持ちは同じです。
最後の最後まで、足軽風情と侮られることはないはずです。
士分でもないにもかかわらず、忠義を示してのですからね。

『四十七人目の浪士』池宮彰一郎著 新春文庫から出ている本は、この寺坂吉右衛門信行が主人公にして、書かれた討ち入り後の所から始まる小説です。
斬新ですが、面白いです。
これが上川隆也主演で、NHKの「金曜時代劇」『最後の忠臣蔵』(さいごのちゅうしんぐら)(2004年)としてドラマになりました。
こちらも、なかなかの出来で、私の記憶に残る名作です。
吉右衛門は、83歳まで行きます。当時としては、大変長生きです。
こちらも、なかなかの出来で、私の記憶に残る名作です。
吉右衛門は、83歳まで行きます。当時としては、大変長生きです。
吉右衛門が、後になって「寺坂筆記」というものを記しています。
なかなか、真偽のほどが伺えません。
なかなか、真偽のほどが伺えません。
『寺坂雪冤録』(伊藤武雄著 昭和10年)、『伊藤十郎太夫覚書』、なる文章も元にかかれるところによると、それによると泉岳寺まで、一緒に同行して、泉岳寺に入る前に、内蔵助の密命をうけていることになっています。(『「忠臣蔵」の謎学』中島康夫監修 青春出版社 参照)
しかし、討ち入りの墓参の報告をさせずに、使者に立たせるだろうかと思います。
いつ抜けたか、どのようにして抜けたのか不明でありますが、私の推測です。
いつ抜けたか、どのようにして抜けたのか不明でありますが、私の推測です。
誰か手引きした者がいるはずです。
着替えの服装も必要です。
昼間に、火消しの格好では動けません。
着替えの服装も必要です。
昼間に、火消しの格好では動けません。
本人は、生き残ったのですが、あまりこの辺のことを言いたがっていません。
そんな風に思われます。
そして、事件の後に手控えにしようと思い出しながら書いたのが、「寺坂筆記」です。
記憶違いもあります。
そんな風に思われます。
そして、事件の後に手控えにしようと思い出しながら書いたのが、「寺坂筆記」です。
記憶違いもあります。
あくまでも、寺坂の言った事が、真実かどうか分かりません。
なにせ、当時はお尋ね者ですからね。
大罪を犯した張本人です。
なにせ、当時はお尋ね者ですからね。
大罪を犯した張本人です。
小説の中で、最初に行ったところが、三次浅野の下屋敷です。
瑤泉院(ようぜんいん)に会いに行きます。
瑤泉院は、亡主君・浅野内匠頭長矩の妻、阿久里(あぐり)です。
お家断絶後、実家の世話になっています。
瑤泉院(ようぜんいん)に会いに行きます。
瑤泉院は、亡主君・浅野内匠頭長矩の妻、阿久里(あぐり)です。
お家断絶後、実家の世話になっています。
そこに、ご報告です。
用人の落合与右衛門は、この知らせを成した寺坂を、身分軽いものとして、さげすんだ上に、知らせを受けた瑤泉院が直接会って、話がしたいというにもかかわらず、これを断ります。
用人の落合与右衛門は、この知らせを成した寺坂を、身分軽いものとして、さげすんだ上に、知らせを受けた瑤泉院が直接会って、話がしたいというにもかかわらず、これを断ります。
これが武士です。
屋敷に来たことも口外するなと、念押しです。
三次浅野家に類が及ぶと考えての言動です。
屋敷に来たことも口外するなと、念押しです。
三次浅野家に類が及ぶと考えての言動です。
しかし、これが当時の武士の感覚です。
主君の忠義もない時代です。
この御仁も高禄ながら、主君の大事に、一目散に逃げ出す輩です。
嘆かわしいことです。
主君の忠義もない時代です。
この御仁も高禄ながら、主君の大事に、一目散に逃げ出す輩です。
嘆かわしいことです。
この後は、人生いろいろです。
不思議なことだらけの人生が待っています。
それでも83歳まで、生きた、いや、生かされたと言えます。
不思議なことだらけの人生が待っています。
それでも83歳まで、生きた、いや、生かされたと言えます。
今にしては、言いたい真実もあるでしょうが、それも内蔵助との約束があったように思われます。
最後まで、生きろと言われたとしか思えません。
死にたいと思っても、天命がある以上、死を選ぶことは出来ません。
急がないでもいつか行けます。
死にたいと思っても、天命がある以上、死を選ぶことは出来ません。
急がないでもいつか行けます。
それは、分かっています。
急いでも、天命が済まないと、受け入れてもらえないように思います。
見える天命、見えない天命、あると思います。
急いでも、天命が済まないと、受け入れてもらえないように思います。
見える天命、見えない天命、あると思います。
今日あるは、必然です。
今あるをありがたいと感謝したいです。
今あるをありがたいと感謝したいです。
平凡な日常です。
それでも、それが本当の幸せであったと思えるころには、すでに幸せではなくなっています。
今日も、何もなく平穏無事に過ごせることを、祈るばかりです。
ありがたいです。
それでも、それが本当の幸せであったと思えるころには、すでに幸せではなくなっています。
今日も、何もなく平穏無事に過ごせることを、祈るばかりです。
ありがたいです。
最後まで、長い一人芝居にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。