''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

「異風行列の信長」より、推察す。

「刀剣美術」の四月号、399号を手にしました。
古書を扱う専門店です。もちろん、購入です。

 

刀剣は、骨董の中でも好きなもののひとつです。
織部や伊賀の皿や茶碗などの陶器も好きです。
先日の大阪天満宮の骨董市では、書画や古道具に囲まれて、刀剣や刀の鍔も扱っているお店もありました。

 

刀剣は、美術品かと問われると、答えに困ることもあります。
道具としての役目がありますからね。

 

俗っぽく言うと、人殺しの道具、鬼包丁ということになります。
しかし、武士の魂の拠り所としての、刀剣もあります。
精神世界にあこがれます。

 

道具の持つ機能を追及されます。
日本刀は、緻密な考え抜かれた鉄の工芸品として、世界に類を見ないものとも言えます。
折れず、曲がらず、よく切れる。

 

伝承の中では、兜を割ったり、石灯籠を切ったり、はたまた柳生の庄では大岩まで、刀で切ります。
今でも刀剣を作る刀鍛治もおいでです。
刀鍛治を小鍛治と呼ぶことがあります。
一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲『小鍛治』として世に名高いです。
「天下五剣」の一つに数えられる国宝『三日月宗近』の三条宗近(さんじょうむねちか)の名が思い浮かびます。(♪ワカチカ、ワカチカと頭の中でなっています。ゆってぃ、邪魔です)

 

特に摂関家には、この宗近の太刀が必要です。
大名家に吉光の短刀や正宗の刀が必要なようにです。
藤森神社さんの宝物館には、宗近の太刀が奉納されています。

 

家の守り刀としての役目もあります。
先祖代々の宝刀もありますからね。
大切な刀です。
滅多なことでは使用しません。

 

名刀はこうしたために現在でも、健全な状態が多いです。
名刀でも、短刀には研ぎ過ぎた物も見受けられます。
ちょっと、ぞっとします。
お使いになったということでしょうね。

 

忠臣蔵で、大石内蔵助が上野介に迫る時、「殿、お肉通しのこの短刀で・・・・」と自決を迫ります。
使っていますよね。
使用感ありありです。
何やらオーラーが出ている短刀も見かけます。
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この刀剣美術の中で、珍しく新藤五国光の太刀の記事と写真が掲載されています。
珍しいです。
短刀の名手として有名な新藤五国光です。

 

同じく粟田口藤四郎吉光と言えば、主君を守る短刀として有名です。
短刀の名手、この吉光も、一振りだけ(刀は振りと数えます)、一期一振」(いちごひとふり)を作りました。
もちろん、一期一会のバージョンですね。

 

大坂夏の陣で焼失、その後再刃して、現在、御物(ぎょぶつ)です。
歴史を感じます。
時の権力者に、こうした名刀が集まり、時代とともに移り行きます。
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今日は刀剣の話でなかったです。
この「刀剣美術」の表紙は、前田青邨(1885~1977)[まえだ・せいそん]の「異風行列の信長」です。
84歳の時の作品です。
平山郁夫氏の師匠ですね。

 

独特のタッチの日本画です。
信長の目といい、稚小姓の目といい独特です。
それでいて、緻密な絵画に、前田青邨の持ち味があります。
有職故実の研究もされていたことが覗える作品です。

 

斉藤道三と初めて会うために、尾張と美濃の国境・富田の正徳寺で面会する時の行列です。
歴史はここから始まります。
戦国乱世を駆け抜けた信長の最初です。

 

「うつけ」と呼ばれながら、本当の信長の姿を見た道三が、娘の濃姫を信長に嫁がせます。
因みに、濃姫明智光秀は、いとこ同士であったとも聞きます。
真実のほどは分かりません。

 

このうつけが、もう少しで日本を統一しかけていましたからね。
その面持ちが、この作品には見えるように感じます。
大変、凛としたものを感じます。

 

同じ時期に活躍した日本画家、安田靫彦(1884~1978)[やすだ・ゆきひこ]も同じような歴史をテーマにした作品があります。
こちらの人物は、鼻が特徴的ですね。

 

大変好きな画家の一人です。
こちらも機会があれば記事にしたいと思います。

 

絵の中にある人物と、その歴史の本人が使った日本刀、どこかロマンを馳せる気持ちは似ているかもしれません。

 

静かに絵画を眺めるのも楽しい時間です。

 

今日も平穏無事に過ごせますことを祈ります。
忙しさにかまけて、皆様の所にお邪魔することもままなりません。
週末にゆっくりとお邪魔させてください。

 

最後まで、歴史マニアの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。