私の得意な百均価格です。
そう100円で求めました。
内容は、数万円以上のものだと感じています。
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内容は、数万円以上のものだと感じています。
この他にも、こうしたすでに手に入ることの出来ないものを、同様の低価格で求めます。
付属品であったり、パンフレットであったりと、本体と分離している物も多いです。
これもまた、古書の醍醐味です。
表紙は、「小野小町集」です。
紙にも模様の入っている趣のあるものですね。
付属品であったり、パンフレットであったりと、本体と分離している物も多いです。
これもまた、古書の醍醐味です。
表紙は、「小野小町集」です。
紙にも模様の入っている趣のあるものですね。
藤原定家(応保二~仁治二(1162~1241))、小倉百人一首の原刑を作られたりしたことで、長くその名が後世にまで記されています。
『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』を撰進としてもその功績は大きいですね。
『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』を撰進としてもその功績は大きいですね。
また五十六年に及ぶ記事が残されている日記『明月記』を記したことでも有名です。
波乱万丈の人生とは、別に和歌の世界では歌聖と言えます。
波乱万丈の人生とは、別に和歌の世界では歌聖と言えます。
お家柄も良いです。しかし、その激しい性格が人生を変えることになります。
また、妻の西園寺実宗女(公経の姉)の実家の縁から、九条家に仕えます。
これが人生復帰のご縁ですね。
これもこれうき世の色をあちきなく
秋のゝはらの花のうはつゆ
あきのきて風のみたちしそらをたに
とふ人はなきやとのゆふきり
見わたせは花も紅葉もなかりけり
うらのとまやの秋のゆふくれ
また、妻の西園寺実宗女(公経の姉)の実家の縁から、九条家に仕えます。
これが人生復帰のご縁ですね。
これもこれうき世の色をあちきなく
秋のゝはらの花のうはつゆ
あきのきて風のみたちしそらをたに
とふ人はなきやとのゆふきり
見わたせは花も紅葉もなかりけり
うらのとまやの秋のゆふくれ
と少し探すと今でも、その字を読むことが出来ます。
有名な秋の和歌が入っていますね。
定家卿の自筆の「拾遺愚草」です。
有名な秋の和歌が入っていますね。
定家卿の自筆の「拾遺愚草」です。
字の感じからでは、穏やかな感じの方に思えます。
草案なのか、紙に模様などは入っていません。
本当の定家卿の記録です。
草案なのか、紙に模様などは入っていません。
本当の定家卿の記録です。
王朝の雅な文化、特に和歌の分野では、多くのことが現在にも記されています。
定家卿の言われる「有心(うしん)」とはどのようなものか、凡夫の私には理解できません。
しかし、歌読みには、心を表現するものだということは分かります。
それがテクニックとしてだけでなく、人間の本質の精神世界でもあるように感じます。
定家卿の言われる「有心(うしん)」とはどのようなものか、凡夫の私には理解できません。
しかし、歌読みには、心を表現するものだということは分かります。
それがテクニックとしてだけでなく、人間の本質の精神世界でもあるように感じます。
形あるを教えるは、ある程度まで教えられても、形ないものは教わるには、その生き方・ものの考え方を含めた仏法の「十如是」のようなものの上に、「無心」の境地に達するものと考えます。
定家の書は、父の俊成と同じく法性寺流より入りましたが、偏癖な別の書風を成すと言われます。江戸時代には、小堀遠州らに大変に愛好され、この書風を定家流と称して大流行させたといいます。
(『ウィキペディア(Wikipedia)』一部抜粋、参照)
(『ウィキペディア(Wikipedia)』一部抜粋、参照)
書には、こうした息遣いを感じることがあります。
これが、800年ほど前の実際の定家卿が書いたと思うと感慨深いですね。
これが、800年ほど前の実際の定家卿が書いたと思うと感慨深いですね。
今あるのは先人があるが為です。
一人でも欠けると今の現代がないかもしれません。
一人一人が歴史の歯車をなしています。
生かされていると感じます。
一人でも欠けると今の現代がないかもしれません。
一人一人が歴史の歯車をなしています。
生かされていると感じます。
それぞれに天命があり、天命を外れて生きることはできないと考えています。
にもかかわらず、天の声に耳をかさず、生きる人間の多いこと、多いことです。
不思議なことは多いです。
にもかかわらず、天の声に耳をかさず、生きる人間の多いこと、多いことです。
不思議なことは多いです。
ありがたいことにも私は仏縁を頂いております。
生かされていることは、ありがたいと感じることがあります。
生かされていることは、ありがたいと感じることがあります。
時代は幾度と変われども、少しだけ四季を感じ、自然を感じる生活を送らせてもらっています。
時に、和歌に心を癒されることもあります。
時に、和歌に心を癒されることもあります。
古人(いにしえびと)とのご縁が、時代を超えて、今日あります。
また、京都に地に縁あって住まいしています。
ありがたいことと感じています。
また、京都に地に縁あって住まいしています。
ありがたいことと感じています。
今日も平穏無事に過ごせることのありがたさを、身を持って感じます。
最後まで、和歌らないままの話にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。