''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

小倉山荘 あられ六歌仙 をぐら山春秋 家庭用 を吟味して見ました より。

今帰宅したところです。
すでに、家を出てから14時間が経過しました。
休みが見えません。

それどころか、業績の改善策を施している所です。
時間だけの問題でなく、数字の問題がそこにあります。
数の改善も、しょうえカッターを使って、細かい数字をいじります。
経費削減、細かいモノにも、カッターを入れます。

売り上げを伸ばさずに、利益を出すには、一番に経費の削減と、無駄の排除しかありません。
これは万国共通、企業も自治体も同じです。
時代を超えてでもあります。

時間を超えると言えば、人間の気持ちでしょうね。
そんな昔の人間の気持ちが分かる資料は、少ないです。
それも、1000年以上前の人間の気持ちが分かろうはずがありません。
ところが、世界の中でも、日本の和歌の世界では、そうした人間の機微が見えます。

四季の歌に、恋の歌、いろんな人間の気持ちが、和歌と言う媒体を通して、深く人間の内在するところまで、見えて来ます。
百人一首と言えば、子供から大人まで知り得ます。
カタルから一番アップして、正月の百人一首のそのタイトルの勝負があるほどです。

もちろん、歌を暗記していることは前提です。
最初の一文字を聞いて、取れる一枚はあります。
競技としてより、その意味を楽しみたいです。
百人一首でも、いくつかの種類があります。

一番有名なのは、小倉百人一首かもしれません。
藤原定家卿が、京都・小倉山の山荘で選んだとされることに由来していると聞きます。
この場所で仕事をしたことがあります。

幾多のもみぢを見て来ましたが、3本の指に入る絶景が、そこにありました。
錦の舞い散る中、錦の絨毯を誰も通った所なく、私がそこを歩みましたね。
あれが小倉山でした。

定家卿と伝わる墓があります。
公園の片隅に、ひっそりとある墓です。
幾つも墓があるようですが、小倉山近くの場所なら、ここが本当の墓かもしれません。

あの歌聖にして、あまりにも哀れな様相でしたね。
父親の藤原俊成卿の墓の一つも、東福寺近くの場所にありますが、これがと思うような墓でしたね。
定家卿と言えば、筆まめの日記を付けることでも有名です。
18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記『明月記』は、平成12年(2000年)、国宝に指定された位の貴重な歴史的価値がありますからね。

今で言えば、ブロガーですよ。
私もいろいろなことを書いています。
しかし、そんなに書くことがよくありますよねって、よく言われます。

書くことに意味があります。
何を書くかではありません。
日々の自分との気持ちの整理作業です。
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京都の長岡京市にある小倉山荘は、この百人一首に因んだ商品が多い事で有名です。
菓子のパッケージに、和歌が書かれています。

それを読みながら頂くあられも美味しいですよ。
先日仕事場のおばさんから、小倉山荘 あられ六歌仙 をぐら山春秋 家庭用を頂きました。
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多分、名前から察するように、6種類のあられが入っています。
家庭用の徳用ですから、割れも入っています。
家で頂くには、十分です。
酒のつまみに、いいですよ。

いいモノ頂き、本当にありがとさんです。
捨てる神あれば、拾う神ありです。
嫌なことばかりではありません。
たまには嬉しい事もあります。
ありがたいことです。

日々の暮らしに、ささやかな幸せがあります。
ありがたいと感謝して暮させてもらっています。

心の三毒を廃し、心静かに安穏に暮したいです。

今日も一日、私も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、あられに、あぐらをかいたように話に、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。