''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

京都国立博物館、「長谷川等伯」展を見て来ました。

とき安土桃山時代、時を駆け抜けた天才絵師、長谷川等伯の没後400年を記念しての特別展です。
昨日5月3日に参りました。

12時の20分ほど前に到着です。
入場に「待ち時間1時間」の表示です。
結構並んでいますね。

ゴールデンウィークともなれば、この晴天なれば、すこしは入場者少ないとの当ては外れました。
とりあえず、12時過ぎになれば昼時もあり、並ぶ方も少ないと考え、先に簡単な昼餉を頂きました。

場所は、北隣の豊国神社の隣接、方広寺のベンチです。
木陰になっていてて、過ごしやすいです。

昼餉は、お寿司のおにぎりです。
酢飯をおにぎりに、回りに海苔を巻き、上にトッピングの鰻と錦糸玉子と大葉の刻んだものが乗っています。
これ私の大好物です。
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とりあえず、不安定な場所を避け、バーバリーのハンカチを引いた安全な膝の上です。
3つ頂いて、一つだけは、家での写真用に持ち帰りました。
酢飯と鰻、それに大葉の香りが混在となして、酢飯の酢が砂糖の甘さがなんともいいですね。
お手製の軽い昼餉に大満足です。

「ご馳走サマンサ」
サマンサと言っても、あの4人組みの女性は出来てましたね。
あの中じゃ、サマンサが一番セクシーでユニークですね。


ベンチからは、あの大坂の冬・夏の陣の戦になった有名な梵鐘が見えます。
大勢の方が、文中に「国家安康」「君臣豊楽」の字が白くマーキングされています。

家康は、金地院崇伝ら五山の僧や林羅山に鐘銘文を解読させました。
謀反の兆しこれありと、戦をしかけたのです。
大人気ない、家康最後の失態です。

そんなに憎い梵鐘は取り壊されずに、この平成の世に伝わっています。
不思議なことです。
安土桃山時代から徳川の世に変わる節目です。

ときを同じくして、安土桃山時代を駆け抜けた絵師がいました。
長谷川等伯です。
狩野派全盛の時代にあつて、一人立ち向かいます。

利休や秀頼の目に止まり、天下の絵師になった人物です。
能登の町絵師から、天下の絵師になり得た偉人の物語です。
40分ほど待ち時間を経て、館内に入場しました。

観覧料は、大人1400円、前売り1200円ですが、裏技使いました。
1000円で入館です。
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この二枚の繋がった2種類のチケットに、答えが隠されています。
「こっち、こっち」と、いつものガイドさんに呼ばれています。
入れ知恵した者がいますね。(合法です)

越後屋、お主も悪よのぉ」
「今や、ネット社会です。知恵者が得をします」
二人して高笑いですね。

長谷川等伯展、なかなか英気を吸い取られます。
能登から出てきた町絵師から、天下の絵師になったので、そのサクセスストーリーな並大抵ではありません。
絵に生き様や等伯の思いが詰まっています。

今まで多くの特別展の絵を見ましたが、今までで一番重かったですね。
等伯の思いが絵に乗り移っています。
絵師との出世とともに、家族の不幸に見舞われます。
妻の死、息子の死と、そのため法華経に、その安堵を求めます。

48の涅槃図は凄かったですね。
館内に納まりきりません。
12畳以上ほどの広さもある大作です。

釈迦の涅槃に立ち会ったすべてのものの悲しみが、その絵に満ちています。
像あり、駱駝あり、豹あり、虎あり、動物も、釈迦の涅槃を悲しみます。
この世に生を受けた以上、それに例外はありません。
しかし、お釈迦様が、この世には居なくなっても、「無」になったわけではありません。

如来様ですから、この現世には居なくなっただけです。
その存在はなくなりません。
見えなくなっただけで、その存在は感じられるはずです。
お釈迦さまの涅槃に立ち会ったかのような気分です。

等伯と言えば、知積院の国宝「楓図壁貼付」と国宝「松に秋草図屏風」ですね。
これ以上の傑作はありません。

今回の目玉は、水墨の国宝「松林図屏風」です。
6曲1双の大作です。
説明書きにもありましたが、どこぞの寺院の襖絵の下書きと思われます。

もっと期待しましたが、筆さばき、刷毛さばきは素晴らしいと感じますが、どこか下書きのイメージのままですね。
完成度からいえば、未完成の作品を感じます。
その未完の空間が、水墨画として、空間が見事です。

しかし、知積院の楓には勝てませんね。
狩野派、曾我派といろいろと学んで来た歴史があるは、驚きでもありましたね。
特に、狩野探幽の竹虎図屏風との修復もされていたことには、意外な驚きです。

大変疲れました。
精神が、へとへとになりましたね。

偉大な偉人の功績を、人生を共した気がします。
一片だけの切り抜きですら、へとへとになりました。
偉人として功績に、畏敬の念すら感じます。

時代は変われど、人としての生き方には、それほど変わりがないと感じます。
やるべきをやる。
天命を聞き、それを行う。
それに尽きると感じます。

偉人にはなれません。
しかし、人として、日々生かされていると感謝する気持ちに変わりはありません。
仏との仏縁にも感謝します。

今あることは、この長谷川等伯展も行くべきして、行った展覧会でしたね。
縁を強く感じます。

今日一日、私も世の中も、平穏無事過ごせますように、手を合わせます。

最後まで、稚拙な解説にお付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。