''かんとうしょうえ''の痛風日記

一病息災と心得て、「よかった探し」をしながら、日々感謝して暮させてもらっています

河道屋の養老鍋にて、初めてのごはん食べです。

昨日といい、今日といい、朝から雨音がないですね。
雨に降られると気持ちが、下降気味になります。
今日も一日、雨に当たらないように手を合わせます。

ここ数日の雨で、花や作物も喉の渇きはないでしょうね。
1週間もすれば、梅雨明けの声も聞こえてくるかもしれません。
すると京都は、すぐに祇園囃の祇園祭りです。

季節的に、鱧祭りと言えます。
鱧(はも)をよく食べるのが、京都です。
鱧は、なかなか生命力が強いです。

長いものは、うなぎといい、鱧といい、生命力が強いです。
海の地より離れた盆地の京都にあって、数少ない新鮮な海の幸です。
これを珍重します。

鱧の落としは、最高の料理の一品です。
目から涼を得ます。
梅肉か、酢味噌か迷いますが、やはり夏はさっぱりと梅肉といきたいですね。
その話は、もう少し時間が経ってからのお楽しみにとっておきます。

先週の休日、私の甥が京都に来ていますので、最初のごはん食べです。
一拍テンポをずらして、京都の地に着きました。
その為、今年の先月が満20年の誕生日でした。
成人として、初めて酒でも酌み交わそうと、誘い出しました。

京都の地に来てより、電話では幾度となく、こちらから一方的に連絡を取っていますが、なかなか忙しいと見えます。
何とか、叔父の無理やりの攻撃に根負けしたようで、しぶしぶ了解というところでしょうね。

場所は、聖護院の河道屋さんです。
正式には、河道屋養老さんです。
本家・河道屋から暖簾分けを許された店と聞きます。
知る人ぞ知る名店です。

京都で河道屋というと「そば」というキーワードが、枕詞のように付きます。
蕎麦ぼうろという銘菓があります。
そちらは丸太町のかわみち屋です。

同じ河道屋という屋号をお使いです。
三条あたりにも、晦庵の河道屋さんという総本家の蕎麦屋さんがあります。

今回は、聖護院という東大路丸太町上る一筋目を東入る仮御所のあった聖護院という門跡の前にある老舗の蕎麦屋養老さんです。
前にも、古い友人のあゆあゆのパパとも来た事があります。

ここの最大の楽しみは、和風情緒たっぷりのお庭があります。
趣のある重厚な建物は、白川の農家を移築したものであるとあります。
お庭を眺めながら、静かな座敷で情緒たっぷりの京都が満喫できる蕎麦さんです。

この店の名物は、「養老鍋」です。
京の素材にこだわった蕎麦すきの鍋になります。

店の説明によりますと、[湯波半]の湯葉、[麩嘉]の生麩、[いづ萬]のひろうすをはじめ、地鶏、海老、九条ねぎ、菊菜といった京名物や京野菜など具がたっぷりと聞くだけでも食べたみたい感じる逸品です。(河道屋養老ホームページ一部抜粋、参照)

鍋の仕上げには、蕎麦ときしめんを入れて、うまみの出汁ごと蕎麦を味わうことの出来るのが最大の特徴です。
蕎麦はさっと温まったぐらいで引き上げ、きしめんは少し煮込むくらいにして頂くのが本来の楽しみ方です。
とりあえず、出汁が美味いです。

まずは、玄関に至るまでの京都ならではの高級料亭に入ったお庭がお出迎えです。
民家仕立ての大きな引き戸を開けると、大きな土間の玄関です。
予約していましたので、名を告げて、部屋まで案内です。
靴は玄関に脱いで置くと片付けてくれます。

二人して、お庭の見える四畳ほどの個室です。
机の下に足を入れられる掘りごたつタイプの和室です。
これなら、長居も出来ますね。
養老鍋が運ばれます。
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美味しそうな鍋の具材がざるに盛られて来ました。
この他に、先ほどのそばときしめんが最後にやって来ます。

甥には、庭の見せる上座を勧めます。
今日は、貴方が主役ですからね。
まずは、ビールで乾杯です。
こうして、成人の祝いが出来るのは、嬉しいことです。

正直きちんと顔見て会うのは、10年ぶりぐらいということになります。
まして二人切りで食事は初めてです。
最初のごはん食べが、成人の祝いというのも不思議な縁です。
何をしゃべったらいいのか、不安ばかりでした。

取りとめもない生活の話や、サークルの話や、バイトの話など、どうということのない話です。
無口な甥の会話は、なかなかキャッチボールにならないですね。
20歳くらいの男なら、こんなものかと思いますが、子供のいない私には、それが普通なのかどうなのか判別がつきません。

しかし、叔父と二人して、食事をしてくれるというのだから、甥も緊張してると思います。
そんな時、養老鍋は助かります。
うまいからです。
取り皿のトンスイに、[湯波半]の湯葉、[麩嘉]の生麩、[いづ萬]のひろうすを入れてやると、口にあったのか、よく食べています。

播州辺りでは見かけない食べ物に、これなんだろうという顔をしています。
特に生麩は、餅と思っているみたいでしたね。
出汁を何度も蓮華ですくっていましたね。

ビールも日本酒も頼みましたが、甥はアルコールに不慣れで、二人してそれぞれ1本づつしかオーダーしていません。
顔が赤いですね。
私の家系も兄嫁の家系もアルコールには強い血筋のようですから、いける口だと勘違いしていました。

そそくさと、〆のそばときしめんにあっという間に到達です。
その麺類も若さの食欲の前では、あっけないと言えます。
たった1時間でごはん食べは終了です。

もう一軒、呑もうと誘ってみたのですが、顔はすでに酔っ払い顔です。
甥ももういい、お腹いっぱいと言いますので、店を出て東大路で別れました。

次回もごはん食べしようと誘いましたが、次回もあるのかないのか不明ですね。
もう少し、お酒を呑みながら、くだけた話でもして、時間を過ごしたいかったというのが、正直な感想です。

喜んでくれたのか、とりあえず顔だけ立ててくれたのか、全く不明です。
言葉少ない甥との最初のごはん食べということになります。

叔父とは不思議な存在です。
子供もいない私には、かわいい存在ですが、果たして甥にはどんな叔父に写ったのか?

次回のごはん食べもあることを祈って、また連絡してみます。
出来たら、祇園祭りでも誘って見たいです。
でも、やはり友達や彼女と行く方が楽しいと思います。

それでも、ありがたい時間と私は喜んでいます。
血縁の縁ですからね。
大切にしていきたいです。

今日も一日、私も甥も世の中も、平穏無事に過ごせますように、祈るばかりです。

最後まで、出汁の効いた話にはなりませんでしたが、お付き合い下さいまして、心よりお礼申し上げます。